白山砂防女性特派員

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  第2回
平成14年11月26日(火曜日)

●信濃川大河津資料館と新洗堰見学


特派員参加人数 16名



 第2回目の白山砂防女性特派員の活動は、地元石川県を離れて、新潟県西蒲原郡分水町にある信濃川新洗堰(しんあらいぜき)と、同所にある信濃川大河津資料館を見学しました。

信濃川と大河津分水路

 当日はあいにく降ったり止んだりの雨模様でした。3時間以上のバス移動でお昼近くにようやく現地に到着しました。
 バスから外を見ると、二股に分かれた大きなゆったりした川がありました。この川が日本一の長さを誇る信濃川と、越後平野を水害から守っている大河津分水路でした。大河津分水路はとても川幅が広く、これが人の手で通されたとはちょっと信じられないくらいです。

 大河津資料館ではまず五百川(いおかわ)館長から資料館と大河津分水の概要について解説をしていただき、つぎに大河津分水の歴史を紹介した映画を鑑賞しました。
 現在では洪水など聞いたことのない信濃川ですが、江戸時代から明治時代には大規模な洪水がたびたび起きていたことがわかりました。土砂災害の被害もさることながら、周囲が水浸しになることで疫病が発生し、それによる被害も大きかった事などは特に印象的でした。また映画では明治から昭和にかけての分水工事の様子が当時の映像で映し出され、重機などのない時代の大規模な土木工事の様子が確認でき、分水と堰を考え出した先人の知恵と、それを実現するための人々の努力と苦労に感動しました。



 映画鑑賞の後、分水と可動堰、洗堰のしくみと機能について、2000分の1サイズの模型による解説を受けました。分水路がただあるだけでは信濃川の水はすべて分水の方に流れてしまい、下流域に水が供給されなくなってしまいます。それを可動堰と洗堰でうまく水の流れを調節して、信濃川の方へ常に一定量の水が流れるようになっているのでした。もちろん洪水時には分水路の方へ洪水を流すように考えられています。つくづく、このようなしくみを考え出した人はすごいと感心しました。

 資料館ではこのほかにも興味深い展示がたくさんありました。中でも、大河津分水がなかった場合の越後平野の各都市の洪水の様子をシミュレートした展示は、各特派員の興味をひいていました。分水路ができる前の信濃川流域の水田は、「深田」と呼ばれる腰まで水に浸かる耕作に大変な労力が必要なものであった、その様子を模型で再現したものや、分水工事のきっかけとなった「横田切れ」と呼ばれる洪水を立体的な紙芝居で再現したものなど、どれももっと時間をかけて閲覧たいものばかりでした。


魚道観察室の様子 カワヤツメなどが観察できました。

 最後に、平成12年に完成した大河津分水新洗堰と魚道を見学しました。
 当日は雨が降っていたこともあり水はかなり濁っていたのですが、それでも何匹かの魚が魚道を行き来するのを魚道観察室から見ることができました。特派員の中には仕事で魚道に携わっている人もおり、この見学は参考になったようです。


洗堰・閘門の見学 洗堰・魚道の見学

 帰りのバスは大河津分水路の脇の道路を通っていただいたので、実際に分水路の様子を見ることができました。分水路の、下流部にいくほど勾配が急になりしかも川幅が狭まっている様子や、そのために起きる川底の洗堀(せんくつ)を防ぐために設置された床固工を見ることができました。

 今回は手取川とは違う川の治水事業について学ぶことができました。移動時間が長く大変な一日でしたが、特派員にとって充実した一日となりました。





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