最初の架橋は加賀藩祖、前田利家が造った木造大橋です。城下一の大きさを誇り、犀川に架かる唯一の大橋であったことから、今と変わらず当時も人の交流や物流が盛んでした。明治維新以後も洪水やはんらんにより度々流失し、明治31年(1898)に木造橋最後の架け替えが行われました。 |
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市電敷設のためそれまでの木造橋を取り壊し、鉄筋コンクリート製の永久橋に変わりました。フランス・アンネビック式で鉄筋は一部米国製を使ったりと、堅牢さが自慢の橋でしたが、大正11年8月、金沢測候所(現気象台)開設以来の集中豪雨により崩壊し、3年間の短命に終わりました。 |
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現在見られるワーレントラス式の鉄橋は、鋼材を組み合わせた造形が「男川」と呼ばれる犀川にふさわしく、男性的な力強さを感じさせます。設計は日本橋梁技術の先駆者である関場茂樹が手掛け、英国製の鋼材も使用されました。80年近く経った今日も約3万5千台/日もの交通量に耐えています。 |
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平成6年(1994)の改修工事で、青色系統のグラデーションが施されました。歩道にはベンチやバルコニー的空間、レトロ調の照明が設けられ、高欄は金沢情緒を演出する紅柄格子がイメージされています。伝統を重んじながらも現代感覚を取り入れた橋は、金沢の街並みにしっくりとなじみ、国の登録有形文化財の指定を受けました。 |