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地域と共存してきた犀川大橋

犀川大橋の歴史     画像をクリックすると拡大写真が表示されます
藩政期の木造橋の絵図 → 鉄筋コンクリート橋のモノクロ写真 → 市電が走っているころの犀川大橋の写真 → 現代の犀川大橋の写真
1594~1918年   1919~1922年   1923~1993年    
藩政期~大正   大正   大正~平成   現代
文禄3年~大正7年   大正8年~大正11年   大正12年~平成5年    
城下町の交通の要衝だった木造橋   短命に終わった鉄筋コンクリート橋   鋼材の組み合わせが男性的な表情を醸し出す   青色のグラデーションが街並みにしっくり
最初の架橋は加賀藩祖、前田利家が造った木造大橋です。城下一の大きさを誇り、犀川に架かる唯一の大橋であったことから、今と変わらず当時も人の交流や物流が盛んでした。明治維新以後も洪水やはんらんにより度々流失し、明治31年(1898)に木造橋最後の架け替えが行われました。   市電敷設のためそれまでの木造橋を取り壊し、鉄筋コンクリート製の永久橋に変わりました。フランス・アンネビック式で鉄筋は一部米国製を使ったりと、堅牢さが自慢の橋でしたが、大正11年8月、金沢測候所(現気象台)開設以来の集中豪雨により崩壊し、3年間の短命に終わりました。   現在見られるワーレントラス式の鉄橋は、鋼材を組み合わせた造形が「男川」と呼ばれる犀川にふさわしく、男性的な力強さを感じさせます。設計は日本橋梁技術の先駆者である関場茂樹が手掛け、英国製の鋼材も使用されました。80年近く経った今日も約3万5千台/日もの交通量に耐えています。   平成6年(1994)の改修工事で、青色系統のグラデーションが施されました。歩道にはベンチやバルコニー的空間、レトロ調の照明が設けられ、高欄は金沢情緒を演出する紅柄格子がイメージされています。伝統を重んじながらも現代感覚を取り入れた橋は、金沢の街並みにしっくりとなじみ、国の登録有形文化財の指定を受けました。