掲載日:2016年1月28日

白田切土石流災害、国道8号越波災害

記憶の伝承と意見交換会を実施(1/13)

上越高田河川国道事務所では、大規模地滑りが新赤倉温泉街をのみ込み、多数の死者を出した昭和53年の白田切土石流災害における国道18号白田切橋災害復旧対応、国道8号青海・糸魚川越波災害など、最前線で活躍した元職員(防災エキスパート)の皆様から、当時の状況、復旧の苦労話をいただき、若手職員に伝承する「記憶の伝承と意見交換会」を行いました。
伝承会と意見交換会には、防災エキスパート等元職員12名、職員44名が参加しました

落橋寸前白田切橋を緊急復旧

防災エキスパート 立野常幸氏(当時:維持修繕係勤務)

5月18日、午前6時23分ごろ妙高山中腹の通称南地獄谷で大地滑りが発生、崩落した土砂は土石流となって白田切川を流下、3キロ下流の新赤倉温泉を急襲、旅館、保養所など16戸が全半壊、県道橋、信越線橋梁が破壊・落橋しました。国道18号白田切橋も橋脚が洗掘され、落橋寸前でした。
融雪により流れ出る土砂が流下するなかで、新潟県側と長野県側を結ぶ大動脈国道18号を通行できるよう、昼夜、復旧工事を進めました。

直江津港湾から消波ブロックを借用20mの谷底に設置

白田切川は、橋梁直上流から下流の関川合流点まで急勾配となっているため、白田切橋基礎を早強コンクリートで固めながら、橋梁下流側に直江津港湾から借用した消波ブロック(8t)を投入して橋脚を保護する小堰堤を築造、22日には、大型車を除く一般車の通行を確保しました。
立野氏からは、人命第一、状況が解るまで現場には入らない、正確な情報で安全確認を行い1時間でも1分でも早い交通解放を目指した貴重な教訓を話していただきました。

昭和53年5月20日朝日新聞

国道8号越波被害を語る

防災エキスパート 山本益人氏(当時:糸魚川出張所勤務)

国道8号は、新潟市から京都に至る主要幹線道路です。海岸線を通るため、台風や日本海の冬期波浪により波が道路まで達することがあります。
越波により通行車両が横転、道路施設や国道を守る海岸擁壁など、幾度となく被害を受けてきました。
山本氏は、越波が起きる気象現象の要因、通行止め時の交通管理者調整の重要性、汀線の後退により被災を受ける道路施設を守るため、漂砂制御のため三次元的な施設整備、流域を含めた一元的な土砂管理の重要性を話されました。

糸魚川市寺町の越波(S62)

PCケーブル損傷の妙高大橋保全対策

蓑和道路管理第二課長が説明

国道18号に架かる妙高大橋は、昭和47年に建設されてから40年以上経過しています。平成21年にコンクリート桁内に配置されているPCケーブルの腐食・破断が発見されました。
現在、緊急・応急対応として補強ケーブルの設置、橋面防水対策、監視機器による監視体制強化(変状時に自動通報)及び定期的な調査を実施、通過交通の安全を確保しています。なお、恒久対策として新橋の架替事業も進めています。
蓑和道路管理第二課長は、損傷の主な要因、PCケーブル損傷状況の調査結果、補強ケーブル工事、たわみ量を自動計測、警報メールを発信するなど、モニタリング状況の説明を行いました。

先輩技術者が貴重な教訓・心構えを伝授

意見交換会では、昭和60年1月浜徳合、昭和60年2月鬼伏災害、玉の木災害、昭和60年7月虫生岩戸災害、長浜災害、歌災害、青海町(旧)外波災害など、国道8号を襲った土砂災害について早川副所長が概要を説明、当時、担当された先輩方から教訓や心構えを話していただきました。

土砂崩落による国道8号道路災害は、①土質、沢地形など地形的要因、②上部地域開発、改変状況と流水処理状況、③降雨、融雪など気象的要因が影響したと考えられます。
「周りで何が起きているのか周辺状況の情報把握が大変重要であること」、「巡視は亀裂、水の噴き出し、土砂の流出など十分な観察、二次災害など事故を未然に防ぐための情報収集と早めの交通規制の判断が重要」との経験談が出されました。
また、「日頃から道路管理者は交通管理者との調整を密にしておくことで、災害発生時の通行止め、復旧工事の速やかな交通規制ができる」との貴重な教訓、心構えなどアドバイスいただきました。
当時、第一線で活躍された先輩の皆様の苦労や臨機の対応などを聞くことができ、若手職員にとって貴重な財産となりました。最後に、防災エキスパートの三輪氏は、「頭の中の貴重な教訓、記憶を記録に残し伝えて行くことが大事である。」と、意見交換会を締めくくりました。