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被害状況
死
者・負傷者(人) |
75 |
(半)
流出、(半)破壊、浸水家屋(戸) |
65,333 |
冠
水・荒蕪(こうぶ)ニ属セシ田畑(丁反) |
48,730.9628 |
出典:水害慨計表(横田切)新潟県(東頚城郡、中頚城郡を
除く) |
被害概況
7月19日に降り出した雨は
その後10日間降り続き、増水した河川は新潟県内各地で破堤し、多くの尊い命や田畑、家屋を奪っていった。
魚野川、清津川など各支流河川が増水氾濫し、大川津での水位は14.4尺にもなり、ついに22日朝方、横田の堤防は300mにも渡って崩壊した。流失・
冠水面積は18,000ha
にも及び、収穫は皆無に近く、死者75人流失家屋25,000戸流失埋没田畑数千町歩に及んだ。宝暦7年の惨事を繰り返すことになり、住民は極度の困窮生
活に陥った。
鎧潟周辺の潟頭地方では横田切れのときは、水が坂になって押し寄せ、桜林の人達は大部分助かったが、部落に居残ったものに対し、和納から大舟で炊き出
し、飲料水等の配給があり地獄で仏の思いがしたという。
(信濃川下流30年誌・信濃川百年史より引用) |
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ト
ピックス
明治29年7月、新潟県の洪水は近古無比の大災にして、県下全郡多少の被害無きはなし、其の最も甚だしきは信濃川沿岸たる西蒲原、南蒲原、中蒲原、三
島、古志、北魚沼等の諸郡にして、就中西蒲原郡を以て最も大なるとす。
湛水今尚滅却せざる為、未だ詳らかに被害の状況を精査するを得ずとも、今日までの取調べに依れば、家屋建物の流出破壊1万余死傷75人、浸水家屋建物6
万余りにして、其最も深き所は屋上数尺の冠水あり。
道路堤防橋梁田畑の破壊流出せしもの至てはその被害実に幾許なるを知らす。 |
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