信濃川水系での治水事業の歴史についてご紹介します。
 
千曲川第T期改修 年代:1918(大正7)年〜1941(昭和16)年
場所:犀川・千曲川合流点/上田市、
小県郡神川村から下高井郡高丘村、下水内郡秋津村
千曲川

 千曲川流域は江戸時代、そして1910(明治43)年、1914(大正3)年など大きな被害をもたらす大洪水に悩まされてきた。そのため長野県は大正6年に、千曲川の上流上田市から下流飯山市に至る間の大改修計画を策定。これに基づき、内務省は1920(大正9)年1月より築堤および護岸工事に着手した。当初10カ年継続事業の予定であったが、欧州大戦による物価騰貴や日支事変勃発などにより工事は延長となり、1941(昭和16)年度にようやく竣工の運びとなった。

篠ノ井横田地区の築堤には、多数の家屋移転が強いられた。東横田五十三戸、西横田二十一戸、その他寺・神社・墓地など。北海道十勝国音更村へ入植移住した人も二十六戸あった。

千曲川右岸柏尾上流並杭護岸
そだかご護岸による工事(昭和7年)
更級郡西寺尾村(現長野市)は、横田と同様に築堤による家屋の移転、耕地の堤外地下の犠牲が大きかった地域である。
両岸の家屋三十九戸と小学校一校が堤外地に入り、槌井神社の本殿がかろうじて堤内に残された。
(千曲川河川事務所パンフレットより)