信濃川水系での治水事業の歴史についてご紹介します。
 
年代:1841(天保12)年〜1845(弘化2)年
場所:長野県更埴郡坂城町地先
千曲川

 現在の埴科郡坂城町一帯は、1841(天保12)年の大洪水で甚大な被害を被った。洪水に苦しむ住民を見て、中之条代官石井勝之進は積極的に築堤工事計画を進め、1845(弘化2)年に堤を完成させた。この堤には、洪水を直角に受けることを想定し、大石を用いて基礎を築き、堤端は畳石と称した巨石を用いた堅牢な構築工法が採用されている。常山堤の名称は兵法書「孫子」に由来し、「常山の蛇の如く耐え得るもの」として名付けられた。


常山堤(千曲川の今昔より)


常山堤位置図(『坂城町史』中巻歴史編1より)