信濃川水系での治水事業の歴史についてご紹介します。
 
年代:1818(文化15年・文政元)年〜1820(文政3)年
場所:新潟市内野
信濃川下流

 江戸時代、堀の開削等をめぐり上流と下流の村々の間で利害の対立が生じた。蒲原郡内野村付近の金蔵坂に掘割を造り、潟の水を五十嵐浜へ放流するという計画も、新潟町民の反対で工事は実現しなかった。しかし、文化4〜5年(1807〜1808)に、中ノ口川堤防が決壊し、52カ村で人家の流出が生じたことを重視した幕府は、新潟町民と交渉して工事を開始。1833(天保4)年、請願以来98年の歳月をかけてようやく竣工にこぎつけた。


西川底樋改修絵図

 

 

 

 

 

(信濃川下流治水歴史地図より)


新川開削前の西蒲原地方