信濃川水系での治水事業の歴史についてご紹介します。
 
年代:1748(寛延元)年
場所:長岡市草生津町
信濃川

 長岡の町中に氾濫する洪水は、主として中心部より西南方に当たる左近・草生津(現長岡市草生津町)方面の信濃川堤防の決壊によるものである。そのため、長岡藩では洪水流が最も激しく衝突する左近に堤防を築造することを決め、1748(寛延元)年の融雪を待って起工した。この工事には19,782人の人夫が出役し、同年の9月20日に竣工した。長年、洪水に苦しんできた人々は、竣工の日、新堤防上で盆踊りを行って喜んだ。この堤を人々は左近の大土手と呼んだ。


(信濃川河川事務所ホームページより)