信濃川水系での治水事業の歴史についてご紹介します。
 
年代:1730(享保15)年
場所:阿賀野川河口付近、新潟市松浜
信濃川下流

 松ケ崎の掘削は、新発田藩が紫雲寺潟の干拓の結果、加治川および阿賀野川の水害が増加したことから、洪水防御と水田排水を目的として行われた。両川の分離によって新潟港の水深は減少するため、新潟側は反対したが、1730(享保15)年に堀を作り通水した。その後、翌年春の出水のため堰が破壊され、堀が拡大し、現在の阿賀野川河口が形成された。これに新潟側が異議を唱えたので、新発田藩はこれを復旧するため1738(元文3)年に小阿賀野川を改修した。


(阿賀野川写真集より)