白山砂防という名称は、昭和2年、国の事業として現在の砂防新道の脇に「白山砂防工場」が作られていたことに由来し、昭和9年の大災害があってからは、白山から流出する土石から手取川を守る事業として、図にある牛首川と尾添川にはさまれた白山地すべり地域から砂防基準点、にごり澄橋付近にかけて、白山砂防事業を実施しています。




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