第2期白山砂防女性特派員
トップページ > 白山砂防について

白山砂防について

◆ 砂防とは?
◆ 白山の概要
◆ 手取川水系の概要
◆ 牛首川流域の砂防
◆ 尾添川流域の砂防
◆ 甚之助谷地すべり
◆ 白山砂防の歴史






 砂防とは、「土砂の崩壊や流出を防止すること」をいいます。

 荒れた山を緑化して崩壊を防いだり、土石流を抑えるために砂防堰堤などの施設を造ったり、また土砂災害が起こりやすい場所がないか点検したり、土砂災害が発生していないか監視したりすることも「砂防」といいます。
 近年では、土砂災害を防止するだけでなく、河川によって運ばれる土砂を総合的に管理する事が砂防の目的になってきています。

 砂防は外国でも「SABO」といいます。
 日本の砂防技術がすぐれていること、日本が海外のいろいろな国で砂防の技術指導をしていること、砂防にあたる適当なことばが外国語にはないこと、などが理由で、1950年ころから、世界の国々でもSABOということばが使われるようになりました。砂防(SABO)は世界の共通語なのです。








 白山  標高2702m
 御前峰(ごぜんがみね)・大汝峰(おおなんじみね)・剣ヶ峰(けんがみね)の三峰からなる、火山です。

 豊かな自然と美しい高山植物が有名ですが、その反面、もろい地質と急峻(きゅうしゅん)な地形、年平均3,300mm以上になる降水量が原因で、古来より土砂災害が多い地域でもあります。

 白山に登ったことのある人なら誰もが知っている白山の登山道に「砂防新道」がありますが、この道は、白山の甚之助谷や柳谷で砂防工事を行う為につけられた道が、後に登山道として利用されるようになったものです。そのため「さぼう」の名前が付けられています。








 手取川  幹川流路延長72km  流域面積809平方q

 河口から約34kmの白山市吉野谷木滑新地先にて、牛首川(うしくびがわ)流域(手取川本川)と尾添川(おぞがわ)流域に大別されています。






別当谷砂防堰堤群
別当谷砂防堰堤群
柳谷砂防堰堤群
柳谷砂防堰堤群

出水時の柳谷の様子
出水時の柳谷の様子



 牛首川流域には下流部への有害な土砂の流出の防止と土石流発生時の土砂流出の抑制を目的とした砂防堰堤が設置されています。
 砂防堰堤の施工は大正時代に始まり、その数は100基以上に及んでいます。
 また、昭和55年に手取川ダムが完成してからは、ダム湖への土砂の流入を防ぐ役割も担っています。

 現在では、無人化施工技術を活用した砂防工事(柳谷)や、光ケーブルによる防災情報基盤整備が進められています。






尾添川上流域・地獄谷の崩壊状況
尾添川上流域・地獄谷の崩壊状況
中ノ川第一号砂防堰堤
中ノ川第一号砂防堰堤



 尾添川の支流・中ノ川上流の地獄谷・仙人谷では特に荒廃が激しく、温泉・噴気作用などで岩石が変質し、崩壊しやすい荒涼とした裸地になっています。

 手取川ダム完成後は、下流部への牛首川からの土砂の供給が無くなったため、尾添川では土石流などの急激な土砂流出は防ぎつつ、平常時には下流域に土砂を安定的に供給する事を考慮した砂防堰堤が作られています。






甚之助谷地すべり排水トンネルおよび集水井工模式図



 白山の甚之助谷、標高1,400〜2,000m地点では大規模な地すべりが発生しています。

 昭和30年代より横ボーリングや排水トンネル、集水井(しゅうすいい)などを施工して地すべりの原因である地下水の排除を行っています。
 現在も年間5〜10cmの移動が確認されています。






1891明治24年濃尾地震で甚之助谷崩壊。
1896明治29年集中豪雨で甚之助谷が大崩壊
1910明治43年石川県知事が柳谷の荒廃状況を視察。
1911明治44年石川県が手取川最上流域・荒廃状況の調査開始。
1912大正元年甚之助谷・柳谷で砂防工事着工。
1927昭和2年甚之助谷・柳谷での砂防工事が内務省直轄施工となる。
1934昭和9年手取川大水害発生
内務省直轄砂防事業を牛首川筋全域に拡大される
この災害を契機に土石流発生危険度の高い渓流に砂防堰堤工事が進められる一方、本線筋の貯砂調節を目的とした堰堤建設に主力が注がれた。
1942昭和17年手取川支流・尾添川流域での砂防工事も国の直轄に編入。
1957昭和32年甚之助谷地すべり調査開始
1959昭和34年梅雨の大出水で尾添川流域の「瀬戸砂防堰堤」「仏師ヶ野砂防堰堤」の基礎部異常洗堀。
1962昭和37年甚之助谷地すべり対策事業開始。
1964昭和39年北美濃地震で白山麓に大被害。
1965昭和40年この年より別当谷・柳谷・細谷に計30基あまりの堰堤を施工。
1973昭和48年甚之助谷地すべり対策事業概成、排水トンネル総延長約1,200mを建設
1975昭和50年この年より手取川ダム関連の水源地域対策特別措置法に基づき、計90基あまりの砂防堰堤を建設。
1979昭和55年手取川ダム完成。
1982昭和57年甚之助谷地すべり地すべり対策事業再開。
1985昭和60年この年より、従来の砂防堰堤に加え、環境保全・地域活性化の配慮から水辺に親しめるよう、自然石を利用した流路工の整備や崩壊地の浸食防止・生態系保全のための植生を復元する事業を実施。
1994平成6年柳谷6号砂防堰堤が左岸袖部の地山崩壊で不安定状態になる。
1999平成11年別当谷で泥流発生、甚之助谷で土石流発生。別当谷の砂防工事用仮設橋と細谷10号堰堤付近まで土砂が到達する。
2001平成13年白峰砂防出張所を市ノ瀬から風嵐に移転。白山砂防砂防科学館完成。
2004平成16年別当谷で土石流発生。砂防工事用仮設橋と砂防新道にかかる吊り橋を流失。
甚之助谷砂防堰堤群が土木学会の「選奨土木遺産」に認定される。





白山砂防女性特派員トップページへ

トップページ  メンバー紹介  活動記録  特派員レポート