→② 当時の蒲田温泉は現在よりももう少し上流で、地獄平砂防えん堤付近の河原近くの低い場所にあった。大正9年の災害で温泉街がいったん消滅してしまったが、その後現在の場所に復興した。
→③ 昭和30年頃までは、このあたりに住んでいた人たちは、みな裏に小屋を作っておいて、何でも裏に持っていってしまって、何かあったらいつでも逃げられるようにしていたという。
→④ こういう大惨事が起きないように地獄平砂防えん堤が造られ、100年に一度という大洪水にも耐えられるように設計されている。
→ 「スーパー大暗渠(だいあんきょ)砂防えん堤」と呼ばれる構造のもので、こうした形の砂防えん堤は、地獄平を含めて今のところ全国で4ヵ所だけである。
(他は、姫川(新潟県)、早月川(富山県)、玉川(山形県))