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魚沼の災害「小赤沢の土石流」

いま      ねんまえ たいしょう ねん        ねん がつ   にち  よる
今から85年前の大正3年、1914年8月13日の夜のことでした。
ながのけんかみみのちぐんさかえむら こあかざわしゅうらく はげ どせきりゅう            どろ
長野県下水内郡栄村の小赤沢集落を、激しい土石流がおそいました。泥
  いし  ふく   みず つぎつぎ いえ の   こ    はたけ なが      にん   とうと じんめい
や石を含んだ水が次々に家を飲み込み、畑を流し、12人もの尊い人命
  うしな
が失われました。
さいがい お    まえ こあかざわがわ   こども   かんたん                ほんとう
災害が起きる前の小赤沢川は、子供でも簡単にわたれるような、本当に
ちい   かわ                     いちや        しゅうらく       わ
小さな川だったそうです。それが一夜にして、集落を2つに分けるよう
  ふか はげ   なが   か
な深く激しい流れに変わってしまったのです。
     たいしょう ねん どせきりゅう つめあと      ねんた    いま  なまなま   のこ
この、大正3年の土石流の爪痕は、85年経った今でも生々しく残って
        なえばやま のぼ                     ちゅうい  かんさつ
います。苗場山を登ることがあったら、よく注意して観察してみてくだ
      さんごうめ  とざんぐち   ある はじ    すこ のぼ   よんごうめ      ひだりがわ
さい。三合目の登山口から歩き始めて少し登った四合目あたりの左側に、
やま しゃめん       と                 み              どせきりゅう
山の斜面をえぐり取ったようながけが見えるはずです。土石流は、この
                    どしゃ  いわ           みず         ふく
あたりにたまっていた土砂や岩が、もともと水をたくさん含んでもろく
                          おおあめ ふ   みず ちから いっき  お  なが
なっていたところへ、さらに大雨が降り、水の力で一気に押し流されて
              お         かんが
しまったために起こったと考えられています。
     たいしょう ねん さいがい    こあかざわしゅうらくいがい   さかえむら かくち はたけ た
なお、大正3年の災害では、小赤沢集落以外にも、栄村の各地で畑や田
      なが           ひがい             しくみがわ じょうりゅう きたのがわ そ
んぼが流されるなどの被害がでました。志久見川の上流、北野川に沿っ
  きたの しゅうらく             かわぎし ちゅうい   み          どせきりゅう
て北野の集落がありますが、川岸を注意して見ていくと、土石流によっ
            た               あ  は    すがた のこ
てつぶされた田んぼのあとが、荒れ果てた姿で残っているのがわかりま
    ちか   とお                       かんさつ
す。近くを通るようなことがあったら、観察してみてください。