信濃川の洪水による被害の状況
【信濃川-1896年】
 信濃川洪水によりかつては幾多の水害が発生しました(信濃川下流域を中心とした洪水年表を見る)。特に1896(明治29)年7月22日に発生した洪水は、規模、被害の面から過去最大と考えられています。この洪水では各地の堤防が切れましたが、そのうち最も影響の大きかった破堤地にちなんで、一般的に「横田切れ」と呼ばれています。下に示す地図からは各地で破堤した状況を確認できます。

1896(明治29)年7月20日〜21日の降雨量等雨量線図と破堤地点
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出典:『信濃川大河津資料館展示図録』(※5)
破堤から21日後の新潟市新通の様子。まだ浸水している。 長岡市中之島の様子。浸水が引かないため堤防上に小屋を建て生活する。
写真:社団法人土木学会所蔵(※6) 絵:長岡市下田氏所蔵

長岡市では長生橋が流失した。 魚沼市では小出橋が流失した。
絵:長岡市下田氏所蔵 絵:長岡市下田氏所蔵

 「横田切れ」による被害は、死者43名、浸水家屋43,684戸、浸水耕地58,254ha。現在の長岡市〜新潟市にかけてのほぼ全域が浸水しました。この大水害を契機に大河津分水が建設されました。

信濃川の支流における洪水の被害
 1931(昭和6)年の大河津分水完成によって信濃川本流が破堤することはなくなりました。しかし、信濃川の支流においては、その後も、洪水により堤防が切れるなどの被害が発生しています。

※加茂川、五十嵐川、刈谷田川、渋海川をクリックすると洪水被害の状況が表示されます。

【刈谷田川-1961】
 1961(昭和36)年8月5日の洪水では、左岸の長岡市五百刈で破堤し長岡市中之島地域が浸水しました。破堤箇所付近には約600万m3の土砂が堆積し耕作不能となったほか、数日にわたり湛水した泥水は出穂期の稲を腐らせ、乾燥する間もなく稲は焼き払われました。なお、このときの大雨により新潟県の各地で洪水が発生し、五十嵐川や黒川でも破堤しました。
 刈谷田川では1964(昭和39)年にも破堤し、この一連の災害を契機に刈谷田川ダムの建設が計画されました。
破堤した堤防を見守る人々 1979(昭和54)年に完成した刈谷田川ダム
写真:中之島村史(※7)

【加茂川-1969】
 1969(昭和44)年8月12日、加茂市では午前4時から9時の降雨量が211.4mmとなり、加茂川には流下能力の3倍ほどの洪水が流れ、加茂市街地で洪水が溢れ、商店街や工場、鉄道などが濁流に流されました。この水害を契機に加茂川は改修され、川幅が2倍になり、河川敷は親水公園として整備されました。
下流部は河川と陸地の境界がわからない状況となった。 商店街に激流が流れ込み押し流されそうになる人(写真左)。
写真:加茂川改修の記録(※8) 写真:加茂川改修の記録(※8)
改修された加茂川
写真:加茂川改修の記録(※8)
【渋海川-1978】
 1978(昭和53)年6月26日、停滞した梅雨前線に伴う大雨により渋海川は洪水となり、長岡市越路中沢で破堤。浸水等による被害総額は25.7億円となりました。なお、この前線は新潟県中越地方から下越地方の広範囲に大雨を降らせ、長岡市の柿川や新潟市の西川でも浸水被害が発生しました。この水害を契機として渋海川では現在も河川改修が進められています。
長岡市飯島の浸水被害。
写真:越路町史(※9)

【五十嵐川-2004】
 2004年7月13日、新潟県中越地方は集中豪雨に見舞われ、五十嵐川、刈谷田川などの中小河川が破堤し、15名が亡くなる甚大な被害が発生しました。この水害を契機として五十嵐川では河道の拡幅などが行われています。
三条市五十嵐川破堤付近
写真:平成16年7月新潟・福島豪雨(※10)
■参考資料
※1『信濃川大河津分水誌第1集』建設省北陸建設局長岡工事事務所
※2『分水町史年表』分水町
※3『長岡市史通史編上巻』長岡市
※4『白根市史巻七通史』白根市
※5 『信濃川大河津資料館展示図録』信濃川河川事務所
※6社団法人土木学会HP
※7『中之島村史下巻』中之島村
※8『加茂川改修の記録』新潟県土木部河川課 加茂市 田上町
※9『越路町史別編1自然』越路町
※10『平成16年7月新潟・福島豪雨』国土交通省北陸地方整備局




※著作権・リンクについて(信濃川大河津資料館HP準拠)

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