大町ダムについて

  • TOP
  • 大町ダムについて

流域の概要

 大町ダムは信濃川水系高瀬川に位置し、昭和44年8月に発生した大洪水を契機に計画が加速し、洪水調節を主目的として建設された多目的ダムです。

 高瀬川は、大町ダムから約25km下流で犀川に合流し、千曲川を流れ、新潟県に入ると日本一の大河として知られる信濃川と名前を変え日本海へと注いでいます。ダムから日本海までは約300kmの距離があります。高瀬川の源は北アルプスの槍ヶ岳(3,180m)で、流域面積約445㎢、流路延長56kmの河川です。勾配が急で上流に降った雨が一気に流れ込み、たびたび洪水の被害を起こしてきました。

 ダム上流域の年間降水量は平均1,700mmで梅雨期、台風期に加え、冬季にも多く見られるなど、山岳部特有の気候の特徴を示しています。

image

高瀬渓谷にある3つのダム

 大町ダムは長野県の北西部、松本平の北に位置する大町市の中心部から高瀬川をさかのぼること約7.7km、北アルプスを間近に控えた場所に位置しています。
大町市街地や大町市東に位置する鷹狩山からは、北アルプスを背景に大町ダムを望むことができ、大町ダムからは大町市街地、鷹狩山を眺望することができます。

 高瀬川筋には、大町ダムを含め3つのダムが整備されています。
大町ダムの上流にある2つのダムは、「七倉ダム」と「高瀬ダム」で、いずれも東京電力リニューアブルパワー株式会社が運営する水力発電用のダムです。いずれも昭和54年(1979年)竣工のロックフィルダムで、高瀬ダムと七倉ダムとの間にある新高瀬川発電所では、高瀬ダムを上部ダム、七倉ダムを下部ダムとした揚水発電を行っています。

 高瀬渓谷は、古くから川に注ぐ水の力を活かした発電のエリアとして注目され、大正時代から本格的な開発が行われてきました。現在は、3つのダムと5つの発電所で発電を行っています。

image

大町ダムがもつ4つの目的

 大町ダムは、下流に住む人々が常に安全・安心で豊かな生活を営むために、4つの目的を果たしています。
 4つの目的のうち「洪水調節」では、大雨が降り洪水になったときにダムへ流入する洪水の一部をダムに貯め込んで、下流に流れる水量を低減させています。
このことを防災操作機能といい、洪水調節においてとても重要な機能です。

1

洪水の調節

下流に流れる水量を調節し、洪水から下流の人々の生活を守っています。

大雨時に上流から流れてくる最大1,500㎥/sの洪水のうち、1,100㎡/s分をダムに貯めこみ、残りの400㎥/sを下流に流します。

2

発電

ダムから放流される水は、大町発電所を通って電力エネルギーに変換されます。

大町ダムに貯まった水を使って発電する大町発電所と上流にある中の沢発電所は、合わせて最大55,000kwの発電能力を持っています。

3

農業用水等の安定供給

渇水時には、高瀬川と犀川が合流する地点までの約3,000haの地域に水を供給し、川らしい流れの維持に努めています。

渇水時には、洪水期で最大660万㎥、非洪水期で最大924万㎥の水を利用して高瀬川沿岸の農地に用水を供給します。

4

水道用水の確保

大町ダムでは、渇水時に流域市町村や長野市の水道用水を補給できるよう水を確保し貯めています。

貯められた水のうち、最大180万㎡の水を利用して、1日最大21.8万の水を供給しています。

image

大町ダムの歴史

 大町ダムに流れ込む高瀬川は勾配が急なため、上流で降った雨が一気に流れ込み、たびたび水害を引き起こしてきました。
過去に起きた主要な水害を振り返ると、昭和30年代とその前後で頻繁に災害が発生していたことがわかります。

image

水害の歴史

昭和28年9月
台風13号により高瀬川が氾濫。
昭和33年9月
台風21号により長野県東部で豪雨。千曲川支川の中小河川が氾濫。
昭和34年8月
台風7号により千曲川、犀川流域で計画高水位を超過する被害。
最大瞬間風速が35m/s以上の暴風被害も発生。
高瀬川・鹿島川・乳川は氾濫し、堤防や護岸が決壊。
大町・平・常盤・社の全地区堤防が決壊。
昭和35年8月
11号、12号が相次ぎ高瀬川が氾濫。1大町高根町他6か所が決壊。
昭和36年6月
梅雨前線による豪雨で高瀬川、千曲川流域で洪水発生。
常盤、社地区など大町市で被害。
昭和40年9月
台風24号にともなう低気圧の発生により、長野市で洪水発生。

大町ダム事業の沿革

大町ダム建設推進のきっかけは「44災」

 度重なる水害を受け、ダム建設の調査が昭和42年(1967)に始まりました。
その2年後の夏、昭和44年8月に、大町ダムの建設が加速されるきっかけとなる「44災」と呼ばれる災害が発生しました。
集中豪雨により大きな洪水が発生し、下流域では堤防が決壊、流域の人々は多大な被害を受けました。
 災害の直接の原因は大雨ですが、高瀬川流域が崩れやすい地質であること、急流でV字谷であることなどが重なって、いっそう被害を大きくしたといわれています。

当時の天気図・雨量の分布図
轟きを上げて流れる高瀬川(松川村細野)

轟きを上げて流れる高瀬川(松川村細野)

災害後の葛温泉(大町市平高瀬入)

災害後の葛温泉(大町市平高瀬入)

着手〜完成までの19年の流れ

昭和42年5月〜予備調査着手
ダムを作る場所や大きさを決めるため、地形や地質・水量等を調べる

予備調査着手

昭和44年4月〜実施計画調査
ダムの構造・形・材料・使う機械等を検討し決定。周りの自然や地域の人々に与える影響を現地で調査。

昭和44年8月高瀬川大洪水発生(44災)

昭和49年8月大町ダム建設に関する基本計画告示

〜昭和50年4月用地買収
ダム及び貯水池の場所に土地を持つ方に土地を提供してもらい、その後きちんと生活できるよう資産の補償をする(損失補償基準妥結)

昭和52年6月〜建設工事
工事前の調査計画、手続き等を終え、ダム本体工事に着手

昭和52年6月〜

  1. 1工事用道路
    工事で使う機械や材料を入れるための道路を設ける
  2. 2転流工
    トンネルを掘り今まで流れていた川の流れを変える
  3. 3掘削
    ダムを支えられる堅い岩盤になるまで土を掘る

昭和54年8月〜

  1. 4ダム本体コンクリート打設開始
    その場でコンクリートを作りながら打ってダム本体を形成する。
    ダム本体コンクリート打設完了時のダム本体の体積は76.5万㎡
  2. 5管理設備
    水を流すためのゲートやダムの管理に必要な施設を設ける
予備調査着手
予備調査着手
予備調査着手
予備調査着手

昭和59年10月〜試験湛水開始
少しずつ水を貯め、ダムや水につかる斜面の様子をチェックする

昭和61年3月大町ダム竣工
昭和61年4月、管理に移行

大町ダムの大きさ

種類
重力式コンクリートダム
高さ(堤体高)
107m
長さ(堤体長)
338m
体積
76.5万㎡
有効貯水容量
2890万㎡
湛水面積
1.1㎢
集水面積
193㎢
ダム上部標高
906m

身近なもので大きさ比べをすると

ダムの高さ

107m

30階建てのビルと同じくらいの高さ

ダムの高さ

ダムの長さ

338.0m

観光バスが一列に32台並べられる

ダムの長さ

ダムの体積

76.5万㎡

11tのダンプトラック約13万台分

ダムの体積

水の貯まる量

2890万㎡

東京ドーム約23杯分

水の貯まる量