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大町ダムについて

ダムができるまで

大町ダムは、昭和44年8月、高瀬川流域に発生した大洪水を契機に計画が本格的に推進されました。この洪水は被害総額22億円を数えるほどの規模で、葛温泉も流出し大町の人々は多大な被害を被りました。

水害の歴史

北アルプスの山々から流れ出す高瀬川や鹿島川などの大小の河川は、大町市街を貫くように流れているので、大昔から何度も大きな洪水を引き起こし、農地や建物、人命に多くの被害を与えてきました。特に1969(昭和44)年8月の集中豪雨による高瀬川の大洪水は、大町の人々に大きな被害をもたらしました。

昭和44年8月11日洪水
轟きを上げて流れる高瀬川(松川村細野) 右岸堤防の決壊で松川村から穂高町まで
被害が及んだ。(松川村細野)
明治18年(1885) 高瀬川筋の多くの堤防を破砕し、田畑・原野に大きな被害が発生し山抜け、山崩れにより道路が遮断されました。
明治40年(1907) 高瀬川の氾濫により、堰の欠落、田地や宅地が流出し、住宅、田畑が欠潰しました。
昭和44年(1969) 8月11日の高瀬川流域に降った強雨により葛温泉3軒が流出し、下流の家屋234軒が被害に遭い、水田158haが冠水する等の被害が発生しました。
「昭和44年8月11日洪水」のあらまし 【「広報おおまち」より抜粋】

この年昭和44年の8月7日から12日にかけて梅雨前線が停滞して雨を降らせました。8月11日は明け方から強い雨が降り始め、西部の山岳地帯では平地よりさらに降水量が多く、降り始めからの雨量が南沢岳で402mm、燕岳(つばくろだけ)で133mm、笹平で137mmに達し、これらの雨を集めた高瀬川の水深も上橋の地点で3mを越えました。市内の水田は、233.6haにわたって流失、埋没、冠水などの被害を受けました。市消防本部のまとめた、農林関係、土木関係などの被害の総額は21億5596万円余りとなりました。災害の直接の原因は大雨ですが、高瀬川流域が崩れやすい地質であること、急流でV字谷であることなどが重なって、いっそう被害を大きくしたといわれています。

事業の沿革
昭和42年 5月 予備調査着手
昭和44年 4月 8月 現地調査に入る
高瀬川流域に大洪水発生
昭和49年 8月 大町ダムの建設に関する基本計画告示
昭和50年 4月 損失補償基準妥結
昭和52年 6月 ダム本体工事に着手
昭和54年 8月 ダム本体コンクリート打設開始
昭和58年 4月 ダム本体コンクリート打設完了(76.5万m3
昭和59年10月 試験湛水開始
昭和61年 3月 4月 大町ダム竣工
管理に移行

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