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大源太キャニオンの開拓と現状
 
 
 大源太川第1号砂防堰堤付近がリゾート施設として使用されはじめたのは、第二次世界大戦終了後アメリカ軍が湯沢町に進駐し、砂防堰堤の暗渠を閉塞し、水を貯留させてボート遊び場として利用したことに始まるといわれています。
 アメリカ軍が撤収してから暫く後の昭和48年、当砂防堰堤の堆砂地上流端付近の段丘上に青少年旅行村が設置されたことにより、夏場のキャンプ場として多くの人々が訪れるようになり、「大源太キャニオン」として有名になりました。
(1)旭原地区空中写真による経年変化
(2)大源太川キャニオンの利用状況

つづき