魚野川
魚野川
若アユ踊るやな場
 魚野川の下流域と信濃川の中流域は、古くからの鮭・鮎の漁場。とくに小千谷から川口、堀之内、小出に至る信濃川と魚野川は大漁場。なかでも信濃川と出合う一帯は鮭の漁場だったところとして有名。鮭の獲り方は、伝統をうけ継ぐために場所によって一定ではない。
 打切り漁は、明治時代になって一層盛んになった。「打切り漁法は9月から12月までの期節、川瀬横に杭を打ったのを場と唱え、山竹で編んだ簀を張って鮭が上流にのぼるのをふせぎ、下流に網<苧で作った網目2寸5分(約8cm)で方2間(約1m80cm)>を2統を張り、上流から長さ8尺(約2m40cm)の棹で水面をたたき追う。打切りの追川という。網を張るもの4人、追う者2人あるいは3人として、およそ7人を1組とする。漁夫は裸体…。」
 魚野川の鮭獲り法の花形だった打切り漁は、明治16年(1941)に東京上野で開催された「水産博覧会」に魚野川採魚の雛形として、現場の図とともに展示された。添付の解説には、打切り漁は永禄年間(1558~69)に川口村の者が考案したと書き加えてある。
 消えて久しい打切りの代わりとなって魚野川に人々をひきつけるのが川口やなとも呼ぶ「男山簗場」。鮭簗は明治1年(1868)、鮎簗は大正4年(1915)に設立という歴史を持つ。さらに上流には堀之内やな場、浦佐やな場がある。春から秋にかけてヤマメ、ハヤ、アユ、コイ、サケ、ウナギなどが楽しめる。まさに魚野川下流は魚の宝庫。