長野県境から長岡市に至る間の信濃川両岸に発達している河岸段丘は、旧石器時代や縄文時代には住みやすい環境だったとみえて、その遺跡が多い。約80ヵ所におよぶ縄文遺跡がある長岡市には、馬高(うまだか)・三十稲場(さんじゅういなば)・藤橋・岩野原といった新潟県を代表する遺跡群がある。どれも信濃川左岸に形成された。
馬高や岩野原などの遺跡からは住居跡のほかにさまざまな土器が出土したが、信濃川流域を中心に見られる土器として注目を集めたのが火焔型土器河岸段丘の遺跡で発掘された縄文式深鉢の一種で、最初に発掘されたのが「馬高遺跡」。
馬高遺跡は市街地から車でおよそ20分、信濃川左岸の標高60m前後のゆるやかに傾斜する段丘上の畑地の一画。4,500年前くらいの縄文中・後期の住居跡、炉跡が土中に眠っている。馬高から西に向かって少し歩くと、小さな谷をはさんでむら跡がある。これが縄文人が馬高から移住した「三十稲場違跡」。ここからは縄文後期の石囲炉(いしかこいろ)、三十稲場式土器や玉類などが出土した。