信濃川沿いの与板は古くから舟運の要地で、万治2年(1659)の文書に「大津の荘、与板村」とあるように、津の里とも呼ばれた。当時は舟運といっても氾濫の度に河道が変わる信濃川の航行は容易でなく、現在は八幡公園になっている裏山の頂上にあった都野神社の灯明が往来する船の灯台の役目をしたという。
与板の総鎮守とされる都野神社は、延喜式神明帳にその名がみられ8世紀にはすでに与板の鎮守として祀られていたと推測される。社記によると、祭神は天孫降臨の折に道案内を勤めた神々。この事蹟から舟運・街道の中継地の与仮に祀られたと説く。いまでも水陸交通安全の守護神、水の神、農耕、商工業の守護身とする信仰が篤い。(写真提供長岡市)