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曽川切れ跡
大河津分水着工から8年目を迎えた大正6年(1917年)10月。秋の雨が降り続く中、信濃川の水位は刻々と高さを増し、2日未明、後に「曽川切れ」と呼ばれる大洪水が起こりました。
この洪水は、想像を絶するもので、破綻箇所は、長さ180m、深さ約7mに及び、新潟市南部を含む亀田郷内は濁流の修羅場と化しました。
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曽川切れ記念碑
曽川切れの大きな水害を忘れることなく、後世に伝えるものとして建立されたのが「曽川切れ記念碑」です。広い地域が長期にわたり水浸しとなり、人々の生活を苦しめる結果になったことや、洪水によって農産物は凶作となり、飢餓を引き起こすこともしばしばあったという、その当時の悲惨な様子が、この石碑に刻まれています。