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| 1.所在地・・・・・ | 石川郡白峰村甚之助谷 |
| 2.渓流名・・・・・ | 手取川水系柳谷川右支川甚之助谷 |
| 3.施設名・・・・・ | 甚之助谷上流砂防堰堤群 |
| 4.施工期間・・・・ | 昭和3年度〜昭和15年度 |
| 5.主な諸元・・・・ | 堤高4〜10m、堤長26〜48m、立積175〜776m3 |
| 6.PRポイント・・ | 昭和2年より国の直轄事業に移管され、同年8月に内務省新潟土木出張所白山砂防工場が設置されました。初代所長として赤木正雄先生が迎えられ、早速工事が開始されました。この工事では柳谷、甚之助谷、甚之助谷上流にて高さ5m前後のダムを階段状に集中的に施工されることになりましたが、この階段ダム工は荒廃渓流を治める工法として我が国で初めて試みられたものです。 |
| 7.主な災害・・・・ | 昭和9年7月11日 手取川大水害 |
| 8.災害状況・・・・ | 梅雨前線と融雪とにより白山周辺では至る所が崩壊し、手取川沿川に未曾有の災害をもたらしました。赤木正雄先生の回顧録「砂防一路」より、当時のことが記された文章を抜粋して紹介します。「甚之助、柳谷等は砂防堰堤のため完全に崩壊をまぬがれ清水が滔々と流れているのに反し、これに隣接する別当谷は今まで巨大なブナの原生林で覆われ、流域内に少しも崩壊箇所はなく、砂防事務所員は日頃の飲用水にこの谷水を利用していましたが、今回の豪雨のため渓谷の全貌を一変する大崩壊を起こし、流出した土石流の深さは両側の山腹80mの高さにも及び、このほか宮谷、嵐谷等何れも砂防未施工地の新規の崩壊が手取川大洪水の主因と判明しました。このため、ここに初めて沿岸民は砂防の重要性を認識するに至りました。」 |