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 はじめに
 長野県更埴市桑原(旧更級郡桑原村)を流れる一級河川、佐野川の支流には、明治37年(1904)に設置された砂防石堰堤が数基現存している。これらのうち支流の荏沢に設置された4基の石積堰堤については、昭和62年に調査し、『明治期石積堰堤の施工時期考証と技術的検証 ― 荏沢(えざわ)砂防石堰堤保存のために ―』でその報告をした。

 その際、現存する石堰堤は、内務省の直轄砂防事業として再施工されたものであること、および最初の工事は明治15年に着手されていた(が残存しない)ことなどが分かった。『明治期石積堰堤の施工時期考証と技術的検証 ― 荏沢(えざわ)砂防石堰堤保存のために ―』では、その明治15年起工の直轄砂防事業の工事内容について説明した。満足な史料がなく、例えば石堰堤の設置数は正確さを欠き、人員、工費の数値は不明であった。また苗木植え付けについては、ほんのわずか触れただけであった。

 今回、更埴市立西中学校教諭で『更埴市史』執筆者の1人滝沢公男氏によって、更埴市史編纂室架蔵の史料中に『信濃川流域千曲川通佐野川筋 長野県下信濃国更級郡桑原村砂防工場竣功箇所一覧之図』(以下『砂防工場図』・写真1)という1等史料が発見され、明治前期の砂防工事の詳しい内容が明らかになった。
 工法とその規模
『砂防工場図』右隅の表題に続けて

「一 石堰堤百六拾九ヶ所
   延長三百九拾壱間弐尺
    此立坪七百拾四坪三合
    此水叩平坪弐百五拾八坪壱合七勺
 一 柴工堰堤拾ヶ所
   単床延長拾八間壱尺
    此平坪九拾四坪壱合三勺
 一 柵止連柴工拾壱ヶ所
    延長壱万八千四百弐拾六間三尺
 一 積芝工九ヶ所
    延長八千四百六拾弐間
 一 藁網工壱ヶ所
    此平坪千四拾坪」

と記されている。
 その上、図上には各支流ごとに番号を打って工法を記載している(写真2)。
 また図の「図中符号」によると
「≡」で記した「水叩 単床石張」、
「=」で記した「水叩石張ノミ」、
「=」(原図では二色)で記した「水叩 単床柴工ノミ」、
そして「−」で記した、説明はないが、水叩がないもの、
の4種類に堰堤は分析され設置していたことが分かる。

一方、「柴工堰堤」は、10基すべてが支流・柳沢に限定され、中・下流域に設置し(写真2)、「藁網工」は隣村に近い字・横手官林の尾根からやや斜めに、その下手へと施工している。また「図中符号」に説明はないが、図では「積苗」工を3ヵ所にわたって施工していることが分かる。さらに、支流・荏沢4号石堰堤の下流側には「石」「フゾク」と記されている(写真2)ことから、副堰堤を設け、支流・柄木沢54号石堰堤には「沈床」を施工している(写真2)。

次回 −明治前期の工事の記録−については
人員と工費工期等について掲載します。
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