第2章 〜明治の遺産 岡田川砂防堰堤〜
砂防事業の概要
 千曲川の左支岡田川の水源、茶臼山の東面のはげ山に施工されたものであります。着手は、明治14年(1881)7月であり、17年(1884)中に一旦中止、21年(1888年)4月再開、26年11月まで続けられました。茶臼山の西面、南面は、高府泥岩層の地すべり地でありますが、東側は、第三世紀中新世裾花流紋岩質凝灰岩層であって、はげ山となり、土砂の生産機構が前者と異なっています。先にも述べたように、旧幕時代に土砂留があったとされる地域でありますが、その時代は渓流における牛枠、蛇籠による水防が主でありました。この地に、堰堤数十箇所を渓間に設け、山腹には棚止及び積苗を施し、苗木を植えつけました。なお現在もいくつかの石堰堤が存在します。
写真1−1
 岡田川水源のはげ山 昭和51年(1976)撮影
写真1−2
 岡田川水源に残る石積 昭和51年(1976)撮影

Copyright (C) Matsumoto Sabo Office. All Rights Reserved