アルプスSABO NEWS

Date:
2010/03/30
波田町閉町式典が執り行われました。
 平成22年3月28日、波田町総合体育館において波田町閉町式典が執り行われ、町民や関係者ら約850名が参加しました。
 太田典男町長は、式典を開催するに当たって波田町の歴史を振り返り、先人達の努力に感謝するとともに、「閉町ということになって残念ではあるが、子供達の将来の為にも決断した。閉町は終わりではなく、『波田』の新たなまちづくりの始まりであると考えたい。」と挨拶されました。
 その後、波田町名物のスイカを模したタイムカプセルが披露されました。波田小学校と波田中学校の代表各1名が将来に向けてのメッセージを読み上げ、タイムカプセルへ投函しました。このタイムカプセルには、町内から寄せられた2,151通の手紙が式典終了後に納められ、20年後に投函者の手元に届けられるということです。
 最後に参加者全員で町歌「大いなる波田」を斉唱、その後、波田小学校の子供達が歌う唱歌「ふるさと」が流れる中、町旗が降納されて、波田町の閉町式典は終了しました。

 波田町の皆さん、今までのご協力ありがとうございました。そして、「松本市波田」の皆さん、改めまして、これからもどうぞ宜しくお願いいたします。

【波田町について】
 現在の波田町の人口は約1万5,000人ですが、その前身である「波多村」が明治7年に「上波多村」「下波多村」「三溝村」の3村と合併した時には約3,300人だったといいます。古くは「野麦街道」沿道として、また、「信州日光」と称された若澤寺(にゃくたくじ、明治初年の廃仏毀釈で破壊されました)の参拝者で栄えた地域でした。
 波多村では豊かな水田を得るために「波多堰」や「黒川堰」を建設したほか、林業や養蚕も行いながら次第にその生活を豊かなものにしていきました。そして、昭和8年には平和と水田の豊かさを願って「波田村」と改称しました。
 戦後の一時期には人口流出の傾向もあったようですが、産業構造の変化や松本市のベッドタウン化に伴って人口も次第に増加し、昭和52年には人口が1万人を越えました。この間の昭和48年には町制を施行して、「波田町」になりました。
 そして、近年の地方分権の流れの中で、最終的に松本市との合併を選択をし、平成22年3月31日に松本市の一員の「松本市波田」として新たなスタートを切ることになります。
参考:「波田町合併記念誌 大いなる波田」
挨拶する太田典男町長
町旗降納
波田町歌
※写真・「File Data」ボタンをクリックすると拡大写真・データを見ることができます。


アルプスSABO NEWS一覧へもどる