松本市安曇や松本市奈川あたりの山には古くから道がひかれ、飛騨や東海地方との交通があったようだ。ことに木曽から国府のおかれている松本へ向かう場合、鳥居峠が交通できない時はかわりの道として奈川の道が重要になったんだって。こうして人や物がゆきかうようになった奈良時代や平安時代には、山奥まで人が入り、木を使ってろくろ細工をする狩りをする猟師などが住みついていた。そうした人たちの生活した跡が今でも点々と残っているよ。
●松本市奈川御堂原から出土した八稜鏡⇒
(平安時代のもので、死んだ人間と一緒に墓に入れたらしい)
●蒲田遺跡から出土した、東海地方から入ってきた食器(灰釉陶器)