松川は鉄砲水、姫川は洪水・・・
逃げるしか手はなかった。
内川文造さん
(白馬村大出)
 大出地区は水害の多い所で、特に昭和30年代から40年代はじめにかけては1年ごとくらいに災害にあった。
 すぐ近くに北アルプスをひかえているここらでは、前線が山にぶつかって雨が降りやすい。今までで一度に降った雨量としては500oという記録がある。しかも姫川の下流のように山に降った雨がしばらく時間をおいて水が出るのとはちがって、たとえば屋根からの雨だれが糸を引くような状態だったら30分で水が出てくるほど。そんな時、松川をころがっていく岩の地ひびきはトラックが家のわきを通っていくような感じだった。流路工ができてからは、そんなこともなくなったけど・・・。
 また、松川が流れ込むあたりの姫川は川幅が40mばかりで松川よりも狭い。だからちょっとした雨で一気に水位が上がってしまう。コンクリートの橋になる前、木の橋のころはしょっちゅう流されていた。
 上の松川からは扇状地の土砂をふくんだ鉄砲水におそわれ、姫川は洪水。むかしは台風などの気象情報もないし、とにかく逃げるしか手がなかったよ。
 
波をうつ地面、家が鳴り、柱はかたむいた! 松本宗順さん
(小谷村来馬)
●昭和21年6月29日 来馬の地すべり
 6月29日の朝、夜に降っていた雨があがって太陽の光がさしかけたばかりのまだぬれている地面をふとながめてみると、糸のような細いすじが見える。夜明け直後にはなかったので変だなと思って調べてみると、寺の庭先に東西の方向にいく筋も入っていることを発見。夕方にはそれが割れ目だとわかるほどにはっきりしてきた。割れ目はさらに大きくなっていき、近くの家々では家鳴りがするし、障子の開けたては思うようにならない。柱がかたむいていくのがわかった。飲み水は白くにごり、だんだん細くなってしまった。地面は、ある場所は下がり、ある場所は持ち上がって、波をうつような状態。村中、大さわぎになった。しかも前を流れる姫川は増水して荒れくるっている。
 追いつめられた人々はしかたなく田植えがすんだばかりの田んぼをぎせいにすることに決め、田んぼに引き入れていた用水をはずした。その結果、1週間ほどたつと家鳴りは静まり、飲み水も澄んできて、地すべりはおさまった。しかし危険だということで、7戸の家が他の場所へ引っ越していった。そして、この常法寺もまた近くへ移すことにしたんだ。
 
荒れくるう姫川に今井橋が流失 わたしの田も水につかってしまった
  猪又 つかささん
(糸魚川市頭山)
●昭和44年8月9日 豪雨による洪水
 前日からの雨が夜明け前に激しさを増した。増水した姫川からは大きな岩がゴツンゴツンと流れる不気味な音が聞こえ、ひと晩中、眠ることができなかった。頭山地区の対岸はちょうど川の曲がりかどになっていて、その岩盤にぶつかった水がわたしたちの方の川岸に押し寄せてくるものだから、よく洪水の被害をこうむるんだ。この時もやっぱり川のそばにある自分の田んぼが水につかってしまった。
 一気に水かさを増した姫川が今井橋を流してしまったため、糸魚川の市街に行くには遠回りして海沿いの国道を通らなければならなかった。
 また、川の中州に人が取り残されて、ヘリコプターでやっと救助されるということもあった。
 この昭和44年は7月にも洪水にみまわれたし、災害に泣かされた年だった。
 
鉄砲水で土砂に埋まった1階 山崎宇幸さん
(小谷村南小谷)
●平成7年7月11日 豪雨による土石流
 昼の12時過ぎ、夕方みたいに暗くなって、雨がバケツをあけるような降りになった。あんなのは生まれて初めて。となりの旅館から電話で「大変だ、来て!」ってよばれて、物を2階に上げるのを手伝っていたら、山がくずれて土砂や木がどっと流れてきた。まさに鉄砲水。車は川へ落ち、泥にかくれて見えなくなってしまった。うちは1階が完全に土砂で埋まってしまい、しかたなくハシゴを使って2階から入ったんだ。その日、2階でひと晩過ごしたけどこわかったね。