むかし、むかしのことでした。
 大男で力持ちの弁慶が、ともの者と一緒に小滝村を通りかかったとね。
 小滝川はゆるやかに流れ、川底までもすかしてみえるほど、すんでいた。
 弁慶は、このきれいな川の流れにしばし見とれていたとね。
 ふと目をうつすと、川岸からすっくと立った明星の山が目に入り、
「あれは、なんと美しい山じゃ、岩山ではあるけんど、形といい、なんとも美しい。京のお寺へのみやげにしたいもんじゃ。」
 見とれていた弁慶は、ともの者と一緒に山のまん中あたりまで登ってきたっちゃんやね。
 そして、太い丈夫な荷なわをぐるりと山に回し、満身の力をこめ「えい」と踏んばって、「よいしょ」と立とうとしたけん、どっと尻もちをつき、おまけに肘をドンとついてころんでしまったとさ。
 そして肘をついた所が、大岩にくっきり穴があいたちゃんね。
「これはいかん、さすがのわしの力でもだめじゃわい。」
 弁慶は、びくとも動かぬ山にあきらめ、山のいただきまで登って行き、
」ここまで来れば、赤子の手をひねるようなもんじゃわい。」
と、ふところから金の飯しゃもじを出すと、山のいただきをすくって投げたとさ。
 最初の火と一すくいは、近い所に投げたんで、形がくずれず、とんがった山のいただきのかっこうのまんま、少し離れたところに落ちた。
 次の一すくいは、弁慶が背中にかつぎ、京の比叡山のお山へ持って帰ったんだとさ。
 大岩にあいた肘穴は、いまも残っており、明星のお山のてっぺんがちょっと平らなんは、弁慶がお山のいただきを、飯しゃもじですくったからだといわれておるんだと。
 いちごさかえが申した。
※肘穴・・・糸魚川市小滝
 むかし、むかしのことでした。寺島の村のまん中に、姫川という大きな川が流れておったわいね。
 雨がふりつづくと、水かさがまし、流れが急になり、川があばれて大洪水をおこすので、村のしょうはたいそうこまっておった。
 秋のことだった。とり入れも間近というある時、ひどい雨がつづいて、村中そう出でふせいだけんども、なんのかいもなかった。
 雨はますますひどく姫川は、もう少しで土手をのりこえようとしとった。
 村のしょうは、集まって相談した。
「どうしたら、ええんじゃろう。」
「こまったもんだわい・・・。」
 そんな時、
「人柱をたてたら・・・。」
と、小さく言うもんがあったけん、だれもだまっておった。
 すると、原という人が言ったとね。
「わたしが人柱になろう。わたしが人柱になって、この村を洪水からまもってみせる。」
 この人は、広い土地を持ち、たいそうりっぱな人だった。
 村のしょうは、そんなことできない、といろいろなだめたけんど、
「さあ、急いで村はずれに穴をほって、わたしを生きうめにしろ。」
という原氏の重々しく強いことばに、村のしょうはしかたなく、泣きながら大きな穴をほったとね。
 原氏は、まっ白な着物を身にまとい、チーンとかねを鳴らし、静かにお経をとなえながら穴の中の箱に入り、川ばたにうめられちゃったんね。
 村のしょうは、穴の回りをとりまき、泣きながらおがんだ。
 穴の中からは、かねの音と、読経の声がかすかに聞こえた。
 やがて夜になり、つぎの朝となった。
 かねの音と読経の声は、かすかに、かすかに聞こえた。
 そのよく日、降りつづいとった雨がぴしゃりとやんだ。そしてね、それからというもの、姫川がどんなにひどく荒れても、人柱のうめられた川ばたよりも内へは決して水が入らなくなり、不思議なことに、原氏のとなえる読経とかねの音は土の下から、三年もかすかに、かすかに聞こえとったってね。
いまは行人塚と呼ばれ、土が高く盛られ、その上に松の木が一本植えられています。
 いちごさかえが申した。
※寺島・・・糸魚川市姫川河口