●焼岳と新潟港
上高地で国が直接、砂防工事を始めるようになったのが昭和7年です。
実は、明治のころから松本市周辺では内務省が山腹を中心とした砂防事業はしていたのですが、梓川に関して、内務省の直轄事業¥で砂防事業を本格的に始めるようになったのが昭和7年からということです。
そのきっかけになったのが、大正4年の焼岳の噴火といわれています。
なぜ国がこんな山の中で直轄事業を始めたかというと、それは新潟港なのです。
大正4年に焼岳が噴火し、梓川がせき止められて、大正池ができました。
土砂が少し下流へ流れるようになり、濁り水が新潟港へ出るようになりました。そして、その成分を調べたところ焼岳と同じだということが分かりました。
「新潟港で、そういう土砂が溜まって港が埋まっては困る。」
「これは上流で押さえなければいけない。」
ということから、まずは新潟港のために上流での工事が始まりました。
大げさに言えばそういうことなのです。 |
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「近代土木遺産」
●釜ヶ渕砂防堰堤
釜ヶ渕砂防堰堤は焼岳からの土砂をまず抑えるための基幹の施設ということでつくられたもので、その当時、アーチ型の石積みでの砂防堰堤をつくるのは非常にめずらしく、日本でもいくつかあるうちの貴重なものです。
文化庁の登録有形文化財という制度があります。5月にこれに答申され、9月半ばに有形登録文化財になりました。
新しいトンネルができる前は、同門の隙間からちらちら見えてましたが、いまは見えなくなってしまいました。
文化財になったということで、私たちも安曇村も、土木構造物としてこういうものがあるんだということを皆さんに見ていただきたい。
いままで、建築物には文化財がいくつかありますが、土木構造物はなかなか文化財ということでは注目されませんでした。
土木関係者もそういうことにあまり気を回していなかったということもあり、今回、釜ヶ渕砂防堰堤が登録有形文化財になったことで、ぜひ皆さんの目に触れるようなかたちにしたいと考えています。 |