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フォッサマグナ
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フォッサマグナを発見したナウマンは、明治8年から明治18年まで、ドイツから日本にやってきた地質学者です。10年間で日本列島の詳しい地質調査を行った結果、フォッサマグナを見つけたというわけです。
ナウマンは、2000万年前の新しい地層を、仮にショベルカーで全部掘り出してしまったら、ちょうど日本列島の中央部に横たわるように、古い岩石でできたU字溝のような大きな溝が現れるだろうということで、この地帯のことをフォッサマグナと名付けました。
このフォッサマグナの西の端の断層がほぼ姫川に沿って通っているといわれている「糸魚川―静岡構造線」です。松本では、牛伏寺断層が数年前に発表された活断層として非常になじみが深いのではないかと思いますが、まさにその断層で、フォッサマグナの西の端の断層です。
中学校の地理の教科書には、フォッサマグナ(糸魚川―静岡構造線)と書いてありますが、フォッサマグナはある面積を示す言葉で、構造線というのは断層のことです。 |
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糸魚川―静岡構造線
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断層というのは硬い岩盤が何回も何回もこすれ合わさって動くわけですから、そこは粘土みたいに柔らかくなります。この断層粘土を挟んで、東側にはいまから1400万年前の岩石があり、西側には3億年前の岩石があります。まさにこのねちょねちょの断層粘土というのが、「糸魚川―静岡構造線」の姿というわけです。
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西はボロボロ、東はねちょねちょ
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フォッサマグナが海に没して、フォッサマグナの中に海底でたまった地層がたくさんできます。それも同じく隆起していますから、地すべりを起こすわけです。それはボロボロで崩れるのではなくて、まだ古い岩石ほど固まっていませんから、ねちょねちょと崩れていきます。それがまさに地すべりです。
稗田山周辺には、約100万年前以降に噴火した溶岩がのっています。そしてその後、火山活動を休んでも、墳気活動が活発で、温度が上がってきますから、岩石をねちょねちょにします。もともと硬かった岩石は、火山に関係した温泉活動によって変質し、ねちょねちょにねります。その粘土化帯が稗田山周辺に位置します。
おそらくここも年間数ミリのスピードで上がっていて、しかもねちょねちょですから、稗田山周辺はおそらくそういった地質的な事柄が素因となり、大崩壊を起こしているのではないかと推定されるわけです。
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姫川は土石流のはけ口
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姫川というのは非常にきれいな名前が付いていて、いつもは水が少なくて、いい川だなと思っているのですが、本当の姿というのは、数十年ぐらいに1度、大きな土石流を吐いて、土砂を日本まで運ぶという役割も持っているわけです。
姫川流域が大隆起するおかげで、北アルプスの山間部にあった重たいヒスイが、わざわざ姫川まで出てきて、なお海岸に出てくるというのは、土石流のおかげというわけです。
もし200万年前に始まった地殻変動により、姫川が大隆起しなければ、ヒスイ文化はなかたのではないかということも、ある程度予測されるというわけです。
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