金沢河川国道事務所

第6回活動 --平成23年10月18日(火)

  • 瀬戸砂防えん堤

瀬戸砂防えん堤付近にて見学

  • 中飯場

            中飯場にて現場見学

  • 市ノ瀬砂防えん堤

市ノ瀬砂防えん堤にて見学


  • 白山国立公園センター

レクチャーホールにて砂防経験者との座談会

活動感想

山岸】 【塚崎】 【菊田】 【三守】  【西村】 【道脇】 【坂本
餅井】 【國田

山岸】いつもと趣が違い、砂防現場の経験者の方々から貴重なお話を伺うことができ、有意義な時間を過ごすことができました。
 一番印象に残ったのは、藤村さんの昭和7年〜10年頃にかけて中飯場から少し入ったところに施工された空積でも崩れない高度な技術が施された堰堤を後世にぜひ伝えていって欲しいという言葉です。ぜひ 、実際にこの目で確かめ他の人達にも紹介してみたいと強く感じました。
 加藤さんが「苦労されたことは何ですか。」と質問されたとき、私の予想では「人力仕事なので人たくさん必要で人集めに苦労した。」とか「資材の調達・運搬に苦労した。」など現場の状況に関することが多いだろうと思っていましたが、「堰堤の根はどこまで入れればよいか。」「土砂量の概算。」など設計上の問題が多かったことには驚きました。
 三人の方々はご自分達のされてきた仕事に対し、自信と誇りを持っていらしゃることがひしひしと感じられました。
 良い経験をさせていただき感謝しています。

塚崎】今回は現場で仕事をしていらした3名が出席してくださいました。
 瀬戸砂防堰堤・中飯場を見学しました。
 私は何回も現場に行っていますが、季節・天候・周り景色・現場状況等いつも感動します。
 砂防経験者の方は、これだけは伝えたい、と一生懸命にお話してくださいました。
 現場は1日にして成らず。
 現場で働いた沢山の方々の思いが少しでもわかったように思います。

菊田】第6回の活動は、三人の砂防の先輩達と一緒に甚之助谷の現場から周りました。現場で説明を聞いたいた時は、声も小さく水の流れの音などで周りの2,3人にだけしか聞こえないような所がありましたが、国立公園センターでの座談会では三人の話をゆっくり聞くことができました。
 藤村さんからは、現場でも少し話しておられたフランス式の階段堰堤の話をしていただき、庇を出して水を流したり、落ちた流水で底がえぐられない様にする事や下の方に副堰堤を造る話や、女原堰堤の話などをお聞きしました。
 加藤さんからは、昭和34年に卒業して建設省の白峰砂防の現場作業に入ったことや、白山には長い砂防の歴史があること、白山で富山の福野高校のアルバイトの方達5人と調査測量をしていた時に北美濃の地震にあい、対岸の尾根から大きな落石が川を飛び越えて自分たちの方まで来たときの恐怖や、その地震で別当出合の辺りで休んでいた大学生が死亡したため、遺体を炭俵に入れ、担いで別当出合まで下ろし茶毘に付した後、市ノ瀬まで降ろした事等を話していただきました。
 谷井さんからは、昭和63年〜平成2年までの3年間、加藤さんの事務所にいたことや、白山登山は毎年来ているが、甚之助谷堰堤の現場は20年ぶりで、山の斜面が落ち着いていたこと、現場にて7号8号甚之助谷堰堤の水路のこと、作業現場では作業員の和が大切だったことを話していただきました。
 そのほか、昔は岐阜長滝のほうからの禅定道が登山道の始まりだったことや、今の砂防新道は工事用として造られたこと等、私達の知らない砂防の話をしていただきまして、どうも有り難うございました。

三守】葛葉山腹工事現場見学で習ったセメントミルク注入を、瀬戸堰堤の吹き付け工事現場で見ることが出来てよかったです。  柳谷堰堤は現地の大きな石を砕いて1つの石を6つの石で囲むようにして組み、市ノ瀬堰堤は矢羽石で組み、それぞれ違った造り方で出来ていることに改めて関心しました。
 また、長井温泉の湯元が堰堤のすぐ近くにあってびっくりしました。
 3名の方にそれぞれ違った角度から色々と説明を聞けて良かったです。

西村】朝からすっきりと晴れ渡った秋空の下、7月に見学した砂防現場を再び訪れました。尾口の瀬戸砂防堰堤・白峰柳谷砂防堰堤そして帰り道には市ノ瀬砂防堰堤の3ヶ所です。  今回は白山砂防現場経験者の方々3名をお迎えしての現場説明で、当時のご苦労話や工事内容等をとても盛り沢山に丁寧に説明していただきました。その後、白山国立公園センターに行き、OBの方々からお話をお聞きし、質疑応答の時間でした。藤村さんは昭和31年から3年間、加藤さんは昭和34年に、谷井さんは昭和63年からそれぞれ白峰出張所や砂防事務所に勤務されたとの事で、当時の事をエピソードなどを交えながらとても詳しく説明して下さいました。岩盤があるところに設置されている柳谷砂防堰堤は海抜1500mで、地すべり現場としては他には無いとのことでした。柳谷の13号堰堤をじーっと覗いていたら、表面の石がきちんと整備されて並べられている事に疑問を持った特派員の一人が質問をしたのですが、それは庇石と言うのだそうです。石で庇の様な役割を果たしているのでしょうか。また勾配のきつい川なので階段堰堤という形式が執られたそうです。堰堤を造る際に苦労した事はなんでしょうか・・・という質問に対しては
 @設計する時の基礎、基礎の土の状態で高さを決めなければならない
 A貯砂(土)量
 B堰堤を造る場所を探すこと
 お話して頂ける時間が1時間というのは少な過ぎました。質問も2,3名しか出来ず、一つ一つにとても熱心に説明して頂けるので、あっという間に時間が経ってしまったのです。うーん残念だ。
 今回、最後に立ち寄った市ノ瀬砂防堰堤では沢山の水が流れ落ちていて、初めて見せて頂いた私にはとても新鮮でした。昭和29年竣工のこの堰堤も57年も経過しているのですね。毎日毎日この様に多くの水が流れ落ち、大切な役割を果たしているのかと、造られた方々の思いを今日のOBの方々にダブらせて見ていました。
 今回の別当出合辺りは紅葉もあり、そこで頂いたお弁当はとても美味しかったです。ありがとうございました。

道脇】素晴らしい秋晴れの下、瀬戸砂防堰堤では「以前は水が流れていなかったでしょう」と言われ、「ええーっ?」。全然憶えていなくて申し訳ありませんでした。新設した堰堤が完成していたのです。再来年には本堰堤も完工できるそうです。私達の足下の斜面工事も完成していました。着々と工事は進んでいました。
 今回は白山砂防経験者の方々からいつもとは違った観点から説明してもらい、大変分かり易かったです。堰堤の石組も色々あり、甚之助13号堰堤は6号、7号、8号が崩れたので急遽造ったので、1個の石を6個で囲む方法が6個でないところもある。市ノ瀬堰堤は石の組み方は矢羽で4年かけて造ったそうですが、この石も全て手作りです。危険な堰堤は平成16年から無人化施工で、コンクリートブロックを遠隔操作で組むそうです。堰堤の手前は見えるので綺麗に造るそうですが、裏は普通でした。堰堤工事で一番大事なのは、やはり基礎工事だそうです。砂防新道は工事用道路で、白山は信仰の山なので登山者は禅定道を利用していた等、色々説明して頂きありがとうございました。

坂本】秋晴れの白山山麓は色付き始めていました。瀬戸砂防堰堤の見学地での砂防経験者による堰堤斜面アンカー工法の説明は、いつもの専門用語を易しく噛み砕いたもので、勉強になり納得しました。
 次に紅葉華やかな別当出合での昼食を終えて中飯場の現場へ。砂防経験者の方々の貴重なお話が水音にかき消されて聞こえない時もあり、マイクがあったら沢山聞こえたのにと残念でした。
 市ノ瀬堰堤は矢羽工法で組まれた17mの高い大きな堰堤です。昭和24年から29年の戦後の時代に大きな堰堤を築いた現場経験者のお話を聞いて、静かに動く地すべり地帯にあって60年間ねじれも亀裂も無く堂々と今も堰堤の役目を保っている当時の技術に驚きました。
 砂防経験者の方々の貴重な体験を交えた白山砂防のお話をありがとうございました。今後も砂防現場経験者との工事現場視察を設けて下さい。大変楽しい勉強会でした。

餅井】瀬戸砂防堰堤の工事現場は第3回7月20日(水)に見学した時より遙かに工事が進んでいました。足元も安定していたので安心して見る事が出来ました。  中飯場では、以前に白山砂防の工事に従事されておられた3名の体験や苦労話をお聞きしました。  座談会場では、昭和63年から3年間、工事用道路脇側溝の拡張工事の話を聞きました。土砂が入って積もっても、スコップですくえる大きさにするために、幅30cmのところを60cmに、深さも60cmに造り変えられました。柳谷の階段状堰堤は数字と図式入りでの説明を受けました。ちょうど紅葉の時期でしたので山の景色を堪能させて頂きました。

國田】当日は、白峰出張所所長経験者の3人の方から苦労話や砂防工事の技術・知識について学ぶことができました。現場での経験は体験者にとって、後世に伝えたい誇りだと感じました。またその時々の知恵を駆使して、目の前の困難と真剣に取り組み手抜きの無い砂防堰堤の工事をしてきた熱い思いが伝わりました。物の無い時代の苦労話は、具体的な知識・技術を交えて話され、驚くばかりでした。セメントが無くて、セメントを使わずにいい仕事をした誇り、今も甚之助谷に残っていること。百周年記念誌にはその沢山の写真が残されているから是非使ってほしいと話されたことが鮮明に残っています。そうすることで、今があることへの感謝を私達は知らねばならないと思います。
 現場での説明がとてもわかりやすく興味深いものでした。ありがとうございました。