金沢河川国道事務所

第1回活動「広報キャラバン」 --平成23年6月1日(火)

  • 「白山砂防100年間と昭和9年災害」について

       勉強会

  • 土砂災害防止月間広報キャラバン

キャラバン隊出発式(石川県庁)

街頭広報活動(金沢市香林坊)


    白山市役所訪問        白山市吉野谷支所訪問

  • 手取川流域見学

「水害記念碑(川北町橘)」      「水害記念碑(能美市)」

「北陸電力(株)福岡第一発電所」

    昭和36年洪水跡        昭和9年洪水跡


      洪水跡

活動報告

西村隊長】 【坂本隊長】 【山岸】 【上口】 【塚崎
北上】 【伊藤(弓)】 【菊田】 【國田】 【三守
藤江】 【】 【餅井】 【大村】 【清水】 【加藤


西村隊長】今年度最初の活動は『土砂災害防止月間広報キャラバン』でした。今回初めてキャラバン隊長をお引き受けしました。一度はしなければと思っていたので、依頼された時はすぐに了解しました。相棒は坂本さんで百名山を数回踏破し、又自然観察員でも有る彼女から教えて戴くことは沢山ありました。
 特派員の出席者も多く、例年の様に県庁での出発式を終えた後、大和デパート前にて街頭広報活動を行うのですが、キャラバン隊長は出発式でも前に出て金沢河川国道事務所長の激励メッセージの後に答礼を述べたり、街頭活動に出掛ける際は、県庁砂防課の方や土木総合事務所の方、そして河川国道事務所の方々と同行する事になります。
 その後は、他の特派員の皆と別行動になり、白山市役所を初めとし、白山市管内の6支所と河川国道事務所の砂防出張所2箇所の広報訪問をしました。スケジュールがきちんと決まっていて、行く先々では沢山の役所の職員さん達に拍手で出迎えられ、悪い気はしませんが、多少なりと緊張しました。キャラバン隊長二人の名前を紹介され、その後答礼を述べるのですが、短い文章なので暗記して言えば良かったかな・・・と思っていました。
 3月11日の東日本大震災での地震や津波そして原発の放射能漏れで多くの被害を受けた方々の事は今も国民一人一人の胸に深く刻まれています。この様な時こそ、災害防止対策の必要性を感じ、防災知識の普及をし、避難体制を整えていかなければならないのだと思うのです。今日一日の活動でより一層感じたのでした。

坂本隊長】6月は土砂災害防止月間、白山砂防女性特派員の広報キャラバン活動に参加する。今年も特派員2年目の人が隊長を勤めるという決まり事で、やむなく大役の隊長を引き受けましたが、優秀な先輩の方々で同期特派員の多い年は、一度も隊長を勤める事無く過ごされている特派員のおられる事を、その日の朝、始めて聞きました。来年は決まりの2年目の人より、公平に入った順番で隊長をされる事をお願いします。
 県庁での出発式のあと、大和前にて広報活動しました。雨降りのためか人通りが少なく感じられたが配布を終え、仲間達と分れて広報キャラバン巡回に白山市へ向かった。市役所交流センターでは、大勢の職員の拍手で迎えられての入場、かつての同僚職員が笑っておられ、目が合ったとたんにあがり、緊張のなか答礼メッセージを読みました。小雨のなか白山市内の各支所へ、キャラバン巡回に9箇所廻りました。各支所での土砂災害防止の取り組みの話を聞き、その支所その地域での対策が考えられていることに安堵しました。今回の東日本大震災で防災に対する意識は国民ひとり一人が強く持っていながら、平野部にお住まいの方には土砂災害には無関心な人もいます。土砂災害から身を守るキャンペン広報の活動の大切さを感じました。一日中、西村先輩にお世話になり頼りきりの劣等生でした。西村先輩、同行の県職員の方や、国土交通省の方々には、大変お世話になり有難うございました。

山岸】今回の活動はあいにくの天候の中、盛りだくさんでキャラバン隊の方に申し訳ないような気もしました。
 3月11日の東日本大震災の影響もあり、自然災害に対する意識が高まってきています。自分も僭越ながら3月下旬に会社から東松島市へ行ってきました。支援物資(灯油、ティッシュペーパー、おにぎり、レトルト食品等)を弊社のユニックに載せ、何台かに便乗し自分たちの燃料等も持参していきました。自分の無力さを身にしみて感じ、言葉もむなしく無口になり黙々と片付け作業をしていましたが、被災者の方といっしょに作業をするときはいろいろ明るく話しかけて下さり、余計なことは言わないよう気をつけてはいたのですが、果たしてどうだったのかは疑問です。個人的に本当に良い経験をさせていただいたと感謝しています。 今回の研修活動ではたくさん資料を準備していただいたのに時間が無く残念でした。
 北陸電力福岡発電所では、手取川ダムでは聞けなかったような具体的で丁寧な説明を聞くことができ、身近に感じることができました。発電に関しては今後の日本(世界?)にとって重要な問題なので、みんなで知恵を出し合ってより良い方法を考えていかなければいけないと思います。 砂防100周年のイベントについても積極的に関わっていきたいと思っています。今後ともよろしくお願い致します。

上口】2011.3.11゛東日本大震災 津波発生"日本中が言葉を失った。あれから3ヶ月近く、今年も土砂災害防止月間の6月になりました。1日は広報キャラバン隊の出発式、あいにくの空模様の為、式典は県庁エントランスホールで行われる。簡素で厳粛だ。隊長の西村さん、坂本さん一行を見送り、私達は街頭広報へ大和デパート前にゆく。百万石祭が3日後のせいか街はざわついて人出も多い、嬉しい、久し振りに手応えありだ。せめて土砂災害の言葉だけでもおぼえて欲しいと願いを込め資料配付した。砂防の業務は被災地の人は重要性を知っているが、一般の人には災害が起きない限り人の目に触れることのない職場である。刻々と入る情報やそれ等の管理情報伝達他、一秒の油断も許されない人も機械も休み無く稼働しているハードな職場だ。私は特派員の一人として、その現場を胸をあつくして見たり聞いたり出来る幸せを享受している。事務所へ戻り、所長さんはじめ、流対の方から白山砂防100年の記念行事や昭和9年の災害資料、東日本被災地救援活動状況等、沢山の講義を受講。昭和9年の手取川の災害は、手取川周辺と限られた範囲であるが被害地のむごさは東日本と一緒な状況だ。被災地は時代を超え、規模を問わず残酷で悲惨。
 午後、昭和9年災害の被災地の一つ、川北町橘の神社境内の水害記念碑と辰口水辺プラザ近くの堤防決壊地の記念碑に参拝、平穏が続くと風化の恐れもあるが非情の災害から立ち上がって、この風光明媚な風光明媚な故郷を守って下さった先人のご苦労を偲び教訓を大切にして欲しいと思う。
 北陸電力(株)福岡発電所へ見学の好運。ここも砂防堰堤と同じ聖域だ。建物は明治44年完成、100年の節目であるレンガ造りの重厚な外観、この建物が後世へ伝える貴重な文化遺産として有形文化財に登録されている。大切に維持されて、古い建物の持つ暖かさ美しさに心が癒されるおもい。ここも人目につかない職場の一つだ。でも、1分でも止まると社会はパニックになる機能の拠点。偶然、砂防100年の節目と同じく記念の年とか。幾星霜この職場を支えた先人達の記録や写真が掲示されていて先人を敬い誇りとされて、ご自身達も職を愛し懸命につとめられてました。昭和9年の水害は建物がもうすぐ水没しそうな7.5m、昭和36年9月は4.25mと壁面に記録われていました。頭も心も満杯状態の1日を計画して頂き、今日の体験でも私達は何と沢山の人々のお陰で生活してるか身にしみました。特派員でよかったです。

塚崎】毎年6月1日の広報キャラバンは最初の活動で出発式は緊張し、街頭広報では主にチラシの配布などをしました。通行人の方々が災害の事を気にかけてくれたらと思いました。事務所に戻って「白山砂防100年間と昭和9年災害」について勉強会がありました。100年間の事ですから、中々勉強も大変ですぐに頭に入ってきません。資料をよく読んで勉強してみます。昼から水害記念碑の見学を2ヶ所回り、福岡第一発電所の見学でした。手取川水系、手取川初の発電所で外見の建物が気になっていました。中にいれてもらえるなんて感激でした。発電機の音の大きさに”びっくり”大きい声の説明で発電所の仕組みが少し分かりました。砂防事業と同じく手取川の開発事業には歴史があるのだと思いました。

北上】今年の香林坊での街頭広報活動はとても感触が良かったです。災害に対する関心が高まっていて、チラシを渡すと”ありがとう、読ませていただきます”という言葉がはっきりと返って来た方もちらほらおられ、この点が去年までと異なるところです。また、いつもより人通りが多かったようにも思います。
 勉強会の資料を沢山作っていただきありがとうございます。資料が充実していると関連が縦横に整いわかりやすいです。
 2ヶ所の水害記念碑の周辺は天井川のあばれぶりを想起させます。
 手取川初の美しいレンガ造りの福岡第一発電所の中はどんな風に?興味津々でした。浸水線が描き出された所内は無人化。導管3本に発電機3台。3300Vに発電したものを7700Vに変圧して送電線へ。豪雨のような大きな水流になってしまっては発電できないとのこと。勿体ない話でした。建物は157号線からしか見たことがなく、所内には対岸からの写真があり、発電後の放水も写し出され、とても素敵です。屋内から見た対岸の風景もいいですね。今度いつか対岸から建物を見てみたいです。ドライブが楽しみです。
 今日の活動に快く送り出してくれた叔父に感謝です。日々感謝して暮らすこと、人の行く手を妨げないこと、学ぶべきことの多い1日でした。ありがとうございました。

伊藤(弓)】土砂災害防止広報キャラバン隊の出発式は雨天の為、県庁ロビーで行われました。従来の屋外より、むしろ狭い場所の方があいさつや説明もきちんと聞けて良かったです。大和前の広報活動は、思ったより人の通りが多く、結構スムーズに出来たと思います。「土砂災害防止月間です・・・。」との言葉と共に、手渡したのがタオルだったのが良かったと思います。ほとんどの人が手にしてくれました。
 水害記念碑に行く前の資料での学習も、いつもより資料が多く、ピックアップでの説明もとても分かり易かったです。本当に資料作りご苦労さまでした。
 橘(川北町)の記念碑は流れてきた石を使って作られていて、より水害について思われた。 北電の福岡第一発電所の見学は、この時期と言うこともあり私達も色々と質問しながら説明を受けました。白山の水の恩恵を受け、CO2もウランも関係ないけど発電量が多くないのは残念です。昭和9年の水害の際の水の高さの標示には、本当にびっくりしました。改めて大変な事だったんだと痛感しました。

菊田】今月は土砂災害防止月間ですのでキャラバン隊と一緒に広報活動をしました。朝からの雨で出発式は県庁のロビーで行われました。キャラバン隊を見送ってから、私達は香林坊へ移動してチラシ配り等の広報活動をしました。お昼前に事務所に帰り、来年の100周年のお話や午後の水害記念碑の話等を昼食をはさんで勉強会をしました。13時過ぎ事務所を出発、川北町橘と能美市山田の水害記念碑を見てから、北陸電力の福岡第一発電所に行き、3つの班に分かれて中を見学しました。私達の班は最初に第4号機(たて型)第3号機と第2号機(横型)の発電機を見て、どういう様にして水力で発電をしているのかをわかりやすく丁寧に説明してもらいました。又、有形文化財に登録されている100年位たっている建物の話や機会の安全の為にはメンテナンスが大変な事等、又福岡第一発電所では第4、第3、第2号機を合わせて3500kw位発電して出力出来る事等を一生懸命に説明していただきました。本当に有難うございました。

國田】今日は生憎の雨で一日終わりましたが、特派員一同終始晴れやかな活動日でした。何事に付けまとまりの早さには驚きです。
 広報活動では、私にとって急ぎ足の方を引き留めるのは至難の業と感じますが、それでも本日から始まった土砂災害防止月間をいかにアピールするか必死でした。「安全な場所に逃げましょう」と声をかけながら「いざという時の安全地帯は何処?」と自問自答、その具体性のなさに自分にがっかり。どなたもそのような質問はされませんが問われたらどうしようと今、改めて思います。「これをしっかり読んで下さい」とお渡ししたパンフレット、「土砂災害から身を守るための日頃の備え、早めの避難」。どうぞ皆様読んで下さいと祈りたいです。限られた紙面に大切なことが盛りだくさんで、感動です。突然の災害、東日本大震災を思うと胸が痛みます。瞬時の避難がとてもできる状況ではなかったと思います。報告いただいた5月上旬の手取川・梯川水出状況速報にも驚きます。恐怖です。土砂災害は何時起こっても不思議ではない状況下で防災のためのハード面の努力を行政が行うに負けず、私たちも1人1人が防災のための意識の高揚に努めねばならないと再認識しました。
 午後は二カ所の水害記念碑を見学。その被害の大きさを想像し、いつまでも語り継がれることの大切さと復興への祈りを感じることができました。その祈りの中で今は見事に復活していることの感謝も込められていると思えました。
 福岡第一発電所では外観の優美さに改めて驚き、有形文化財がうなづけました。初めて見る水力発電の仕組みにも感動しました。大きな水害を幾度となく引き起こしている手取川ですが、発電はその豊かな自然の力、豊水無くしては叶わないことでした。電力の不足が深刻な今、タイムリーな知識が得られました。「電気を大切に使おう」そう思わずには居られません。「我が家にはエアコンがありません。」と言える方がとても素敵に見えました。大阪の暑さを思うと昨年の暑さも絶えられる地域と言うことでした。まず自分からですが、今こそ日本国民が利己心を改めるときのように思います。
 一日を通して、大変貴重な体験ができたことに心から感謝いたします。有り難うございました。

三守】香林坊大和前での街頭活動は、人通りが少なくて残念でした。
 橘水害記念碑と山田水害記念碑を見て、東日本大震災復興を願う気持ちが強くなりました。いままで何回となく通って見ていたレンガ造りの建物が北陸電力(株)福岡第一発電所だと知りました。建物が100年経って、なお2回土砂災害にあいながら、いまでも稼働している事に感動しました。

藤江】毎年第一回目の活動は土砂災害防止月間のキャラバン。出発式は県庁で行い私は今回で5回目です。今まで屋外で前の広場でしたが今年は天気に恵まれず、中の広場での出発式でした。その後、香林坊大和前に土砂災害の広報・チラシ等を配布し、20分あまりの時間でした。事務所に帰り会議室にて今までない沢山の資料がありびっくり!!資料についての説明を聞き災害の恐ろしさを改めて認識しました。今年は白山砂防100周年で100年間の歴史と復興までの歩みなど資料8まで有りました。事務所で説明をお聞きしましたが家でゆっくり資料を読み返してみて川北町橘水害記念碑、能美市山田水害記念碑の見学に行くまでの風景を思い出しました。水田も緑一色、見渡す限り整地され水害にあったとは考えられない景色です。すごいなぁと思いました。今の東日本大震災の姿をテレビで見る姿は胸が痛みます。何時か川北、手取川のように復興出来る日を祈りたいと思います。
 最後に福岡第一発電所見学場所へ行きびっくり、何時も白峰に行く道がらにあり、レンガ造りで発電所とは気がつかず、有形登録文化財と聞き二度びっくり!!明治44年から手取川水系手取川初の発電所です。昭和26年に電力編成で北陸電力となり水車発電機3台設置され、最大3900kwの発電を行ってるそうです。無人で石川総合制御所より監視制御されているそうです。気づかずの所を見学できて良かったです。ありがとうございました。

】6月1日、今年度の第1回活動は土砂災害防止月間広報活動から始まりました。来年が白山砂防100周年記念の年にあたるということで、様々な記念事業が催されるようです。奇しくも3月11日に東日本大震災が発生し、その後の福島原発事故を受け地域防災対策見直しが取りざたされています。この時期に白山砂防100周年と昭和9年の大水害について、勉強の機会を得たことはとても意義深いものがありました。
 バスで移動の後、川北町橘神社境内の水害記念石碑を見学しました。上流から流出した巨石に碑文が刻まれていました。災害から6年後の昭和15年に建立された碑を仰ぎ、豊かな田畑が一瞬にして河原同然と化した耕作地を水害の爪痕がみじんも感じられない圃場整備を成し遂げた人々の団結力、不屈の精神を感じ取ることができました。また、能美市手取川左岸の水辺プラザに建つ水害記念碑からは、明治29年の大洪水を知ることができました。有史以来、度重なる水害にも人々が立ち向かい、復興を成し遂げた歴史を学ぶことができました。
 現在の金石地区が手取川扇状地の末端であることは驚きです。金石で湧く水は手取川の伏流水であるとは未曾有の災害を乗り越えて、せめてロマンを感じさせるものと思いました。

餅井】今年度、第1回目の立ち上り日に広報活動を香林坊大和前から参加させていただくことが出来ました。ヘルメットと赤ジャンパーの出で立ちで、今回の配布物(ビラとタオルのセット)は、通行人が少ない割には気分良く受け取って頂けました。私は今回で3度目ですが、今までよりは早く捌けた感じがしました。
 場所は変わり、川北町の橘神社の境内の水害記念碑を訪れたのは初めてでした。能美市の水辺プラザには、これまでに10回程訪れているのにもかかわらず、水害記念碑には全く気づかなかったです。
 福岡第一発電所は、今年の4月で100年の歴史を迎え屋内の見学をさせて頂き良かったです。白峰方面に行く途中にレンガ造りの建物は、いつも気に掛っていました。内部は思っていたより騒音でした。そして、綺麗に清掃されていました。昭和9年7月に7.5m、昭和36年9月に4.25mの大洪水に浸かったあとの印がしてありましたが、建物が崩壊しなかったのは頑丈な造りだったからなのでしょう。
 3箇所も初めての場所に行く事ができて勉強になりました。

大村】過去、何回もの水害・洪水により手取川扇状地の流路が変わり、現在に至った事をいろいろな記録や記念碑により当時に思いをはせるだけです。現在は、綺麗に整備された堤防・田畑・住宅地に姿を変えています。一般市民の知らない国土河川事業により、今の安全・平和な治水がある事を目の当たりに実感しました。過去の出来事、その後の整備改良の記録を残し、少しでも多く若い人(生徒・学生)に教える機会があればと思いました。
 東日本大震災の直後の今、そして白山砂防100年にあたるこの時、砂防の重要性を多く発信したい気持ちでいっぱいです。

清水】今年から白山砂防女性特派員となり、始めての活動させて頂きました。県庁での出発式、香林坊大和前の街頭広報活動など、緊張しながらでしたがチラシを受け取って貰えた時の嬉しい気持ちなど、良い経験をしたと思っています。北陸電力の福岡第一発電所で見た手取川大洪水の水位の高さなど、水の怖さ・自然の凄さを改めて感じました。充実した一日でした。

加藤】県庁内で出発式が行われた後、大和前での街頭広報活動として、ビラとタオルを配りました。タオルは必需品なのか心良く受け取って下さり、話を聞いて下さいました。土砂災害防止を少しでも考えて下さればと思いながら活動させていただきました。
  白山砂防100年の歴史を勉強するにあたり、多くの資料を準備して下さり大変だったと思います。山地の崩壊による土石流など多くの被害があり自然と地域の住民を守る砂防の必要性を改めて感じました。
  川北町と能美市の水害記念碑を初めて見学する事が出来、文字は薄くなっていましたが水害の怖さを忘れてはならないと訴えているようでした。その後、福岡第一発電所を見学し職員の方がお忙しいところ説明して下さり、手取川水系に22ヶ所の発電所や6ヶ所のハイダム、約50の取水設備があることにびっくりし「水や電気を大切に使わなければ」と反省して帰りました。