金沢河川国道事務所

第6回活動--令和5年12月1日(金)

 令和5年度第6回活動は、松本砂防事務所管内の砂防施設や糸魚川ユネスコ世界ジオパークを見学しました。他事務所の砂防施設を見学し、白山砂防との違いから理解を深めることを目的とし、併せて、令和5年5月に白山手取川ジオパークがユネスコ世界ジオパークに正式に認定されたことを受け、他地域のユネスコ世界ジオパークや関連する砂防事業について、研修が行われました。

 当日は松本砂防事務所の職員にもご同行いただき、白山砂防女性特派員に向けて各見学箇所の解説をしていただきました。

 浦川スーパー暗渠砂防堰堤では堰堤の天端部分を歩き、ほとんどの特派員にとって初めての経験をすることができました。堰堤の上流側・下流側の違いや周囲の景観との調和などについて学び、砂防堰堤の設計の考え方について新たな発見がありました。
 午後からは、蒲原沢慰霊碑・葛葉山腹工・中股川砂防堰堤群・フォッサマグナパーク・フォッサマグナミュージアムなどを見学し、松本砂防管内で発生した土砂災害の歴史や復旧の様子、砂防事業と関わりの深い糸魚川ユネスコ世界ジオパークについて理解を深めました。

活動のしおり表紙

 
★参加人数★
  9名

★松本砂防管内メモ★

《浦川スーパー暗渠砂防堰堤》
 浦川は日本三大崩壊の一つと言われる稗田山の崩壊地を抱え、今も多量の土砂を供給し続けている。
 浦川スーパー暗渠砂防堰堤は日本初の大暗渠砂防堰堤で、通常時は下流への土砂供給を行い、異常土砂流出時には土砂調節を行う機能を持っている。堰堤天端を通路とすることで、管理用通路としても活用されている。

《蒲原沢慰霊碑》
 蒲原沢慰霊碑は、平成8年12月6日に発生した土石流による災害で亡くなった14名の方々の慰霊と、この災害を風化させず、後世に伝えるために建立された。亡くなったのは、前年の姫川災害の復旧工事にあたっていた作業員の方々だった。

《葛葉山腹工》
 平成7年7月11日から12日の梅雨前線豪雨による増水で、葛葉峠左岸山腹斜面の直下が渓岸侵食を受け、約12万m3もの土砂が流出した。
 現在、葛葉山腹工は工事が完了し、下流部の山腹工および対岸の崩落斜面の整備を行っている。

《中股川砂防堰堤群》
 中股川上流域の地形は、谷が深く急峻な斜面を持つ侵食地形であり、随所に地すべり性崩壊が発生している。度重なる土砂災害に見舞われていたため、昭和63年に直轄区域に編入され、砂防堰堤や床固工の整備が進められている。

《フォッサマグナパーク》
 フォッサマグナパークは、糸魚川−静岡構造線の断層等を見学できる公園である。西側に分布する約2億7千万年前の岩石と東側に分布する約1,600万年前の岩石が接している状況を観察できる。

《フォッサマグナミュージアム》
 フォッサマグナミュージアムは、ヒスイや糸魚川−静岡構造線などのジオ(地質)資源に恵まれた鉱物・岩石・化石や、日本列島の成り立ちなどについて学べる博物館である。
 糸魚川ユネスコ世界ジオパーク活動の推進や市民の教育・学術及び文化の発展に寄与することを目的として設立された。


  ★浦川スーパー暗渠砂防堰堤★
 
調査課長から
解説を受ける特派員

(左奥が浦川スーパー暗渠砂防堰堤)
  日本三大崩壊の一つと言われる
「稗田山崩れ」について、
解説を受ける特派員
 
参加した特派員のほとんどが、
初めて堰堤天端を歩きました!

  周囲の景観に溶け込む、
浦川スーパー暗渠砂防堰堤

  ★蒲原沢慰霊碑★
 
1996年12月に発生した土石流の
解説を受ける特派員
  慰霊碑を前にし、
想いを馳せる特派員
 
当時の土石流被害について、
解説を受ける特派員
  下流地域を土石流被害から守る
蒲原沢砂防堰堤

  ★葛葉山腹工★
 
1995年7月の水害について、
解説を受ける特派員
  現在の山腹工施工状況について、
解説を受ける特派員

  ★中股川砂防堰堤群★
 
積雪した坂道を登る特派員   中股川砂防堰堤群について、
解説を受ける特派員
   
           中股川第1号砂防堰堤にて
 

  ★フォッサマグナパーク・フォッサマグナミュージアム★
 
枕状溶岩を観察する特派員   断層のはぎとり展示
(左側が西日本の古い岩石、
右側が東日本の新しい岩石
 
フォッサマグナパーク
断層露頭


  フォッサマグナミュージアム
活動報告  女性特派員の代表的な感想
     
【A.K】
 本日は第6回活動に参加させていただきました。
 今朝は空気も冷たく、雨も心配な天気予報でしたが、糸魚川へ向かう高速道路では雪化粧をした立山連峰が青空に映え、とても美しい景色を見ながらの研修の始まりになりました。
 高速道路を降りてからはバスの窓から糸魚川水系の砂防堰堤や翡翠山など色んな景色を楽しみながら研修現場へ向かうことができました。
 バスを降り、最初に見学させていただいたのは浦川スーパー暗渠砂防堰堤でした。資料の写真で竣工時の浦川スーパー暗渠砂防堰堤を見るとコンクリートの白色がまぶしく、周囲の自然から浮いている印象を受けましたが、現在目の前の砂防堰堤を見ると、月日と共に周りの自然に溶け込んでいる様子が見受けられました。さらに堰堤天端の通路を歩かせていただくと、コンクリートの色も灰色、黒色へ変わり、苔が生え、浦川にある石と同色に見えました。日々堰堤は周りの自然に溶け込んでいっているのだなということを感じました。堰堤のデザインも下流側の堰堤面には化粧型枠が施されており人の目を楽しませてくれる工夫がされていることを知りました。下流の住民たちの暮らしを守り、自然にも調和するように造られている砂防堰堤は、自然と人間が共存するために必要な物であることを改めて感じました。

【R.K】
 お天気もなんとかもち、松本砂防事務所の方の協力を得て、いろいろ見学できました。
 浦川スーパー暗渠砂防堰堤は、作られた時は白く、現在は黒く変色していましたが、見た目にもきれいな堰堤で、歩いて渡りました。水生物の往来も塞ぐ事なく、建設費も15%削減との事。
 次に蒲原沢慰霊碑にお参り。平成8年12月6日雪の土石流はあまりなく、油断もあったのか?と。女性の犠牲者も含まれており、急いで逃れなかったかと思いました。
 その後、フォッサマグナパークをいそいで見学。「東」「西」の違いを考えながら。断層露頭を下から見る事はできなかった。
 ミュージアムは「ヒスイ」その他の石、岩、化石など沢山展示されていて、いそぎ足で見ました。次回来る事があれば、シアターもゆっくり見、石の庭などで休憩できればと思います。
 白山市も白山から手取川、海までユネスコ世界ジオパークに認定されたから、少しは見習う所があればと思いました。

【T.S】
 今回は、「SABO」への理解を深めるため県外の砂防施設を見学しました。「姫川」は、長野県白馬村、小谷村、新潟県糸魚川市を流れ下る一級河川です。国道148号線が沿うように走っていて、以前は、スキー場に行くのによく使っていました。(この地域が、大量の土砂生産地だとは知りもしませんでした)流域は、糸魚川-静岡構造線を境に、東側はフォッサマグナに属し(新第三紀層)、西の北アルプス側は、古生層の古期岩類からなり、崩壊が多発する場所。姫川とその支流には、100年前から砂防の歴史が刻まれている・・・
 ・・・と、いうことで、最初に訪れた「浦川スーパー暗渠砂防堰堤」。浦川は日本でも屈指の荒廃渓流ですが、目にした透過型の砂防堰堤は、古代の水道橋のようで、おしゃれ。外観に気をよくして天端をそぞろ歩けたのが良かったです。日本三大崩れのひとつといわれる「稗田山の大崩壊地」があったとは思えないほど、静かな風景でした。
 次に、平成8年12月6日に起きた「蒲原沢土石流災害」の現場を訪れました。姫川と合流する地点で、国道、鉄橋があり、大きな砂防堰堤も見えます。資料をみると崩壊地はかなり上流のようですが、勢いに乗った土石流は、作業中の14名の人びとを巻き込み、堰堤を破壊し、姫川へと至ったようです。当時の写真にはそのときの土石流のエネルギーの凄まじさが見てとれます。そばには慰霊碑があり、悲劇の再来がないよう願う人々の想いを強く感じました。ここから姫川を挟んだ向かいにみえる「葛葉峠」は、1000年もまえに、対岸の真那板山が崩落してできたそうです、びっくり・・・。平成7年7月に、峠の山腹斜面が渓岸侵食されて大きな被害がでました。国道や鉄道の復旧に2年以上かかったそうです。私たちの生活に及ぼす影響は計り知れないな、と思いました。
 次に訪れたのは「中股川」にかかる砂防堰堤群。バスと徒歩で、中股川第一号砂防堰堤に到着。30年の歴史をしっとりとまとって佇む姿が美しかったです。この川が合流する根知川は、日本百名山のひとつ「雨飾山」が源流と聞いて、来年ぜひ歩きたい!と思いました(笑)。
 最後に、手取川は(手取川)ダムができてから下流の被災は激減しました。私たち、危機感を忘れてはいないでしょうか。今回の視察で、あらためて砂防の果たす役割を再認識しました。ありがとうございました。

【T.N】
 今回の活動は、松本砂防・糸魚川ユネスコ世界ジオパーク現場研修です。新潟でも富山でもなく、松本砂防になるそうです。松本砂防の中でも姫川流域についての現場研修です。
 お天気も心配していましたが、現地に向かう道中は、美しい雪の立山や日射しも出ていて期待が高まります。例によって、いただいた資料には目を通したものの、事前知識はそんなにないまま、ただただわくわくして向かいます。
 まずは浦川スーパー暗渠砂防堰堤。200年に一度の大雨も想定した日本初の大暗渠砂防堰堤です。岸付近に工事車両がありましたが、資料で見ていた写真より、風景に溶け込んでいるなと思いました。
 蒲原沢慰霊碑ですが、冬場には土石流は起らないであろうという想定を覆した平成8年の12月の大災害で犠牲になった方々の慰霊碑です。平成の時代になってもこんな大災害があったこと、そして犠牲になられた方の中には、男性だけでなく出稼ぎでこられていたという女性の方も3名おられたということにただただ驚き、言葉を失いました。橋の近くのそんなに古くない建物にも、当時の土石流による傷が残っていました。この大災害が、センサー設置など現在の作業現場の安全確保の礎になっているともお聞きしました。
 葛葉山腹工を川越しに見ました。葛葉山は、1000年前、500年前にも想像がつかないような大崩落をし、崩れた土砂が対岸にぶつかってというようなことを聞くと、一旦崩れが発生してしまえば、人間の力では本当にどうしようもないということを感じました。平成7年の梅雨前線豪雨の渓岸侵食による土砂の流出後、法面崩落を抑制する護岸工や山腹工が完了しており、現在は下流、対岸の工事をされているようです。説明を受けながら見ると、山間の風景の中に、何度も発生した大崩落の跡をたどることができます。
 中股川砂防堰堤群に向かいます。既に積雪があり、道はわだちになっていました。たくさんの動物たちの足跡に彩られた素敵な道でした。砂防堰堤はめちゃくちゃ美しかったです。コンクリートブロックにしているのは、まだ動いている地面のたわみ?をコンクリートブロックであればある程度吸収できるためだそうです。1つの大きなコンクリートなどではたわむと亀裂ができたりということがあるそうです。景色に溶け込んで、雪と、コンクリートブロックのコントラストがとても美しかったです。
 下根知農村公園から、フォッサマグナパークへ徒歩移動。巨大枕状溶岩や大迫力の露頭。
 フォッサマグナミュージアムはとてもおしゃれな空間にたくさんのひすいがずらっとから始まってさまざまな展示があり、見応えがありました。20分しかなかったので、必ず必ず・・・・・・またじっくり見たいです。ここだけで1日楽しめると思います。
 資料に「幸田文の碑」とあり、そういえば、以前に『崩れ』(幸田文)という本を気になって購入していたことを思い出し(読んでいなかった)、引っ張りだして読んでみました。恐らく昭和50年代の話ですが、もう50年近く昔の当時から日本各地で崩れと戦う砂防があったことの記載がありました。文学者が砂防を取り上げることも非常に稀だと思いますし、自分が特派員として砂防に関わっていなければ、読もうとも思わなかったタイトルなのではないかなと思いました。ちなみに幸田文の孫である青木奈緒著『動くとき、動くもの』も砂防をめぐった幸田文の足跡を辿るもので、おもしろかったです。
 先日、いろんな立ち位置からひとつの地域を考える機会がありました。いろんな立ち位置や意見があり、私自身は、この1年半の特派員体験を通して、砂防は人が安全に暮すための長期的な使命だと思っていますが、利害関係?や立ち位置が対立する(反する?)のではないかという場面があったり、そんな意見も聞きました。ひとつの地域のことを考えていくという使命は共通しているので、どのようにそれぞれが協力していけばいいのかなと考えると、やはりまずは自分が砂防(だけではありませんが)についても正確な知識とPRができることが必要で(説得力)、さらにそれぞれの立ち位置へのお互いのリスペクトも必要だなと思いました。そんなこんなで、引き続き、もっと深く学びたいなと思いました。特派員の視察や広報活動が、少しずつでも知識の足がかり(とっかかり)になっていると感じています。

【S.N】
 帰宅後、配布された資料を読み込んでいくにつれ、今回の姫川源流域の砂防堰堤とフォッサマグナミュージアム見学会は姫川という暴れ川の室町時代から今に至る悲惨な災害史を辿るようなものだったと思った。糸魚川・静岡構造線に沿うように流れているから山崩れや山体崩壊、地すべり、土石流発生は致し方のないことかもしれないけれど、そこに住む人達や訪れた人達の安全・安心な暮らし、国土保全のために様々に工夫された砂防堰堤、護岸工、山腹工事があるのだと改めて思った。
 稗田山大崩れ・・・浦川のスーパー暗渠砂防堰堤の上に立つと、右岸側に制水工、聖牛(減勢、導流効果。武田信玄)が設置されており、左岸側の堰堤の上は苔の緑が美しかった。
 真那板山の山体崩壊・・・山が崩れて対岸の山に平坦地ができたということなのかな?山腹工が崩壊の規模と天然ダム湖の大きさを物語っているようだ。
 フォッサマグナ東側の中股川のコンクリートブロック積みの堰堤より流れ落ちる水の景観は自然に同化して美しかった。草木の茂る頃、ブロックは見えないかもしれない。
 蒲原沢の土石流・・・H8年12月のニュース映像は記憶している。前年の7月の洪水の映像もよく覚えている。2年続けて姫川は大暴れした。皆で慰霊碑に合掌した。

【Y.B】
 昨年度から白山砂防女性特派員になって、初めて松本砂防の現場研修に参加することが出来、わくわくした気持ちでバスに乗り込んだ。毎回、あまり天気に恵まれていなかったが、当日の朝は、良い天気で、うっすら冠雪した立山連邦の美しさに、バスの車内のメンバーが揃ってため息をつくほど。紅葉の色づいた麓と、まるで粉砂糖を振りかけたような山、そして青空が重なって、本当に美しい眺めだった。天気予報は午後から下り坂だったので、この青空ができるだけ続いてくれたらと思っていた。
 まず、最初に小谷村の姫川水系浦川スーパー暗渠砂防堰堤へ。長靴に履き替えて、通路としても使える堰堤天端も歩くことができた。天端自体は緩やかな勾配があり、遠目から見ると、素敵な反り具合。また、特徴的な半径4mの馬蹄形のトンネル状通水部が4ヶ所あり、眼鏡橋のようなデザインで、とても斬新な外観。景観への配慮がとても伺えた。こんな山奥に置いておくには勿体無いほどと感じた。日本で初のスーパー暗渠砂防堰堤ということで、従来型と比較して、約15%の建設費削減や、自然に近い状態で水や土砂が流れるため、水生生物の往来も妨げることなく砂防の機能を備えていることがよくわかった。同時に、浦川右岸には水制工群も見ることができた。「牛枠」という言葉を初めて聞き、戦国時代から用いられていた、水の勢いを弱める工法だったとは知らなかった。今も昔も水と共に生きている人々の知恵と労力には頭がさがる。ちょうど雲が広がってきて、稗田山がはっきりとは見えなかったが、明治44年の大崩落は大変な災害だったのだろうと想像できた。
 道の駅小谷での昼食タイムは、メンバーと共に小谷村の名産品を用いた食事で舌鼓をうち、次の見学地、蒲原沢砂防堰堤と慰霊碑へ。ちょうど27年前の平成8年12月6日、前年に起きた姫川災害の復旧工事にあたっていた作業員の方々が犠牲になられたという。なんともやりきれない気持ちでいっぱいになる。参加者全員で慰霊碑にお参りして冥福を祈った。そこから見ることができた蒲原沢は姫川へと流れる急流で、土石流が起きたらと思うと、本当に恐ろしいと感じた。現在3ヶ所の砂防堰堤が整備されているようで今後二度と犠牲者を出してほしくないと願うばかりだ。同じ場所から、姫川土砂災害防止として施工された葛葉山腹工も見ることができた。網目のように崩落斜面を抑えてある様子がよくわかった。平成7年の災害でJR大糸線や国道148号線に及ぼした被害が記憶に残っていたので、この場所だったのかとの思いで見学した。
 続いて、中股川砂防堰堤群へ。根知川沿いをどんどん上流に進むごとに、だんだん雪景色が間近になってきて、路面も雪で覆われていた。そこから中俣川に沿った道はとても細かった。勾配も少しあるので、バスが登れなくなり、途中から徒歩で行くことに。雪の中、動物の足跡を見ながら、歩いて堰堤まで行く道中は、メンバーと話しながらワクワク感。砂防堰堤を見て「かわいい!」と言っていた私たちだが、側から見たらおかしな集団だと思われるであろう。
 時間も押して、慌てて糸魚川ジオパークのフォッサマグナパークへ。小雨降る中、歩きながら海底火山の名残の枕状溶岩を間近で見ることができた。しばらく歩くと、糸魚川-静岡構造線の大断層を遠目に見学できた。次回は、下まで降りて大断層を間近で見たいと思った。
 その後、最後の見学場所、フォッサマグナミュージアムへ。いつも近くを通るたびに、立ち寄りたいと思っているのだが、なかなか立ち寄れなかった場所。砂防のメンバーで行けたのが何より嬉しかった。展示物は、どれも興味あるものばかりで、本当に一日かけてゆっくり見学したいミュージアムだと思った。次回、大糸線に乗って、フォッサマグナパーク&ミュージアムツアーができたら良いな、とひとりでひそかに計画している。
 後日、松本砂防事務所から追加でいただいた資料で、前半に見学した箇所の理解が深まった。
 とても有意義な研修活動となりました、みなさま、ありがとうございました。

【M.M】
 今年度も白山砂防・立山砂防と見学をしてきて、今年最後の現場見学は松本砂防・糸魚川ジオパークでした。糸魚川ジオパークの近くは何度も通っていますが、見学するのは初めてでした。ヒスイや色々な石の展示が多かったのですが、フォッサマグナについてもあらためて学ぶことができました。
 蒲原沢の慰霊碑では平成8年に起きた災害で命を落とした方々に黙とうをしました。平成8年といえば、砂防の歴史からするとつい最近のことです。現在の姿をみるとあの橋が流されたなんて、土石流の恐ろしさをあらためて感じました。
 近くを通っているJR大糸線は1日に数本しか走っていない列車ですが、その辺りはフォッサマグナパークや集落などを見ても随分と整備されている印象がありました。
 砂防堰堤ではブロック積み堰堤やスーパー暗渠砂防堰堤と、景観も素敵な堰堤を見ることができました。そんな砂防のインフラツアーがあると聞き、色々な方に砂防の役割や大切さを知っていただけると良いな、と思いました。

【N.Y】
 今回の活動は久しぶりの遠出の活動ということでお天気を心配しながら楽しみにしていました。
 個人的には「浦川スーパー暗渠砂防堰堤」が印象に残っています。幅8m、高さ4.5mの暗渠(スーパー暗渠)が4門もある堰堤は初めて見ました。また、オーバーフロー時に備えて天端がまっすぐではなく、中心まで緩やかに下がった曲線で施工されており、天端の縁石も小型で間隔も広く、土砂などの流れに配慮されていました。また、堰堤の正面側は化粧型枠が使われており、素人目にもおしゃれで洗練された雰囲気でした。この形状を選択された理由を伺うと、水や土砂を自然な状態で流す( 落差を発生させないで )ことはもちろんデザイン性や景観にも配慮されたということでした。
 往復の移動時間より見学時間が短いということで、当初より時間的には厳しいかもしれないなとは思っていましたが、実際見学場所へ行くと、いろいろ質問なども出てきて益々時間が足りない状況となってしまいました。遠方への活動では仕方の無いことかもしれませんが、折角ここまで来たのだからと欲が出てしまうのかもしれません。残念ながら、見学できなかった堰堤や時間が短くなってしまった見学場所については、また機会があればぜひ行ってみたいと思います。
 関係者の皆さん、雪のある中バスを走らせてくださった運転手さん、難しい条件の下活動を実施していただきありがとうございました。

【S.Y】
 今回の姫川の砂防研修はとても楽しみにしていました。糸魚川からの国道148号線は、白馬方面へ行くために何度も通った道であり、糸魚川のユネスコ世界ジオパークもとても興味がありました。
 まず最初に「浦川スーパー暗渠砂防堰堤」を見学しました。この場所は道の駅小谷の裏側であり、道の駅には何度も立ち寄ったのに今まで気づかなかった場所でした。一番印象に残ったのは堰堤の上を歩けることでした。柵がないので注意深く川を見下ろすと川の流れが速くて驚きました。明治44年に稗田山が崩壊し、集落に被害が出て集落の人々はここに暮らせなくなったと知り、悲しく思いました。
 昼食をとった後「蒲原沢砂防堰堤と慰霊碑」を見学しました。平成8年12月に土石流災害で14人の尊い命が犠牲になったと知りました。作業にあたっていた方々が亡くなり、救助活動に一日1400人から1900人の方々が捜索活動をしていたと知り、どれだけ悲惨な状況だっただろうと思いました。皆で慰霊碑に手を合わせました。砂防堰堤は人々の生活を守っていること・そして命がけで作業されている人がいること・この事実を後世にも伝えていかなければならないと思いました。今日ここに来たのは意味があることなのだと思いました。
 次に「中股川砂防堰堤群」の見学に行きました。堰堤に行くまでに雪が積もっていました。雨飾山のふもとなのだと実感しました。中股川第1号砂防堰堤はブロック積の堰堤でした。資料は新緑の頃の堰堤でしょうか。緑があると無いでは印象が違って見えました。看板の文字は地元の小学生が書いたそうです。そして中股川第1号砂防堰堤の地籍は長野県小谷村ですが、保全の対象は糸魚川市であり、県境未設定区間があると知りました。県境をどう決めるのか問題があるのだなと資料を読んで分かりました。
 次に「フォッサマグナパーク」に行きました。小高い山の遊歩道になっており、糸魚川・静岡構造線の断層を見学できる公園です。枕状溶岩や断層露頭を見ることができました。歩いている途中でブラタモリの番組でやっていた「お餅は四角か丸餅か」「灯油のポリ管は赤か青か」などが書かれたプレートが出ていました。これは糸魚川のあたりで東日本と西日本に分かれるらしく、文化や習慣が違うことを表しているそうです。実際に歩いてフォッサマグナを感じることができたのは良い経験でした。時間がなくて駆け足で過ぎましたが、機会があればゆっくり歩きたいです。
 最後に「フォッサマグナミュージアム」に行きました。以前からミュージアムのことは知っていましたが、一度も訪れたことはありませんでした。見学してみて日本列島の成り立ちやヒスイについては勿論、鉱石の標本や化石の展示の多さにびっくりしました。解説も細かく書いてあり、これだけの展示をするのはすごいことだと思いました。時間がなくてじっくり見ることはできなかったのですが、近いうちにまた見学にきたいと思いました。ヒスイのこともフォッサマグナもより深く知りたいと思いました。
 今回の姫川の砂防見学はとても充実した研修でした。「白山」「立山」と砂防見学させていただきましたが、姫川の砂防を見学することで「砂防の役割・重要性」が一番理解しやすかったと感じました。私は今まで国道148号線を通るたびに「なぜここは大きな道路にならないのだろう?整備すれば白馬までもっと便利になるのに・・・」と思っていました。でもここは利便性を求めて道路を整備すべきでない場所だということが理解できました。
 姫川の氾濫、稗田山の土砂崩れ、蒲原沢で14人の方が亡くなったこと、今でも山崩れがあり工事を進めている現場があることなど・・・。フォッサマグナパークから大糸線を走る一両編成の電車を見た時「ずっとこの景色が残っていてほしい」と思いました。 自然を大切にし、山崩れがあったとしても、この地域で暮らす人々の生活を守っていけたらと思いました。「砂防の大切さ」を実感した研修でした。
 職員の皆さん特派員の皆さん有難うございました。