金沢河川国道事務所

第5回活動--平成28年10月27日(木)

 第5回活動は、新潟県妙高市にある砂防施設見学をしました。
 万内川砂防公園では、砂防事業に対する理解を深められるよう公園として整備されていて、砂防施設を間近で見学することができました。
 午後からは昭和53年5月18日に起こった白田切川土石流災害地を視察。当時の災害発生状況や復旧工事の概要などを妙高砂防事務所工務課の水澤さんより説明していただきました。 その後地すべり資料館を視察。資料館ではシアターで映像資料を見たり、白衣に着替えて「地すべり博士」へと変身された 水澤さんと一緒に体験や実験をしたりとわかりやすく自然災害を学ぶ事が出来ました。

★参加人数★
 13名

★妙高砂防施設メモ★

 
《万内川砂防公園》
  万内川は、妙高市の西方に位置する粟立山(標高1,194m)の北に源を発する、流路延長7km、流域面積約30km2の砂防河川です。
  明治35年の粟立山の大崩壊後、大正10年の万内川の支川日影沢からの土砂流出を契機に、大正10年から県下初の砂防事業が着手され、「新潟県砂防発祥の地」とされています。堰堤工、谷止工などが時代に先駆けて整備され、災害の発生を防止するとともに、これらの砂防設備は砂防事業の歴史を今にとどめる貴重な土木遺産となっており、平成15年に万内川にある18基の砂防堰堤のうちの11基と支川日影沢にある床固工群が有形登録文化財に指定されました。

詳しくは・・・ 
万内川砂防公園 ホームページへ


 
《白田切川土石流災害》
  白田切川は長野県境に位置する妙高山(標高2,445.9m)と赤倉山(標高2,141.0m)より源を発し、急峻な渓谷東流し、赤倉地内の第1号砂防堰堤付近より渓谷も浅くなり、県道白妙橋付近ではほぼ平坦な丘陵地帯に出て妙高高原町大字田切地内で一級河川関川に合流する流域面積8.3km2、流路延長8.2kmの一級河川です。
 第一次災害は、昭和53年5月18日午前6時20分頃、中頸城郡妙高村(通称郷田原)地内の赤倉山山腹の国有林内で発生、同日午後1時過ぎに第二次災害が隣接地で発生しました。
 推定土砂量62万m3の土石流は白田切川を一気に流下し、第1号ダム下流で氾濫、土石流による被害としては死者13名、重傷1名の人的被害ならびに県道橋白妙橋、町道橋第一白田切橋、及び第二白田切橋を流失し、また民家24戸を全半壊するとともに国道橋白田切橋の橋脚2基を洗掘し、国鉄信越本線の道床も欠壊する大災害となりました。

詳しくは・・・ 新潟県 白田切川土石流災害 ホームページへ


 
《地すべり資料館》
  地すべり資料館では、映像メディアや模型、パソコンゲームなどを通して地すべりのメカニズムや歴史、災害、防止工事などをわかりやすく楽しく学ぶ事が出来ます。
  平成23年11月に館内のリニューアルを行い、上越地域の地すべり災害や大雪についてよりわかりやすい内容となりました。

詳しくは・・・ 新潟県 地すべり資料館 ホームページへ



  • ★万内川砂防公園砂防施設見学
 
万内川砂防公園内の砂防施設見学。
 
貴重な砂防堰堤群を間近に見学できるよう整備されていました
 
階段式の砂防堰堤群は登録有形文化財に指定されています。
整備されてきれいな万内川砂防公園ですが、
土石流危険渓流に指定されています。

  • ★白田切川土石流復旧現場見学
道の駅 あらいで昼食。
肌寒いこの日のあたたかいおそばがおいしかったです。
 
白田切川は妙高山と赤倉山より源を発しており、
赤倉スキー場や観光ホテルの真横を土石流が流れました。
  
 
 水澤さんの現地説明に聞き入る女性特派員のみなさん。  
 
女性特派員の質問にわかりやすく解説していただきました。  

  • ★地すべり資料館見学
 
地すべり資料館のDVDシアターを見学。  
 
 白衣を着た地すべり博士の登場です。
地すべりだけでなく様々な自然災害について教えていただきました。
  
 
体験や実験コーナー、伝説の部屋で楽しくわかりやすく学べました。  

活動報告

荒木】【伊藤】【木澤】【國田】【小林】【中村】【畠田】【日比】【餅井】【山岸】【山口(昭)】【山口(敬)

荒木
 今回は妙高までの長い道のりをバスで移動しました。参加人数は13名でほとんどの方が参加できて大変良かったと思いました。
 皆さんのお顔とお名前を覚えたいところでしたが、バスの席近くの方とお話しできて良かったです。楽しく過ごしている内に万内川砂防に到着。妙高砂防事務所の水澤さんに皆さんが質問しています。皆さん真剣で勉強熱心なので大変驚きました。
 白田切川の土石流現場は、前に行ったスキー場の近くなので災害の恐ろしさを身近に感じました。
 そしておいしい楽しい昼食タイム。
 最後に地すべり資料館を見学。何とそこでは、水澤さんが白衣を着て地すべり博士に変身していました。
 とってもわかりやすいお話と実験!手作りの小道具に感激!語り継がれる人柱伝説と二匹の猿とともに災害の恐ろしさを頭に、心に刻んだのでした。
 水澤博士、お世話になった方々ありがとうございました。

伊藤
 久しぶりに活動の参加者が多かったのが、まず嬉しかったです。
 万内川砂防では明治35年の大崩壊による土石流での大変な被害を受けた後の階段式堰堤群を見学しましたが、大正以来最初の頃は人力による工事で、それが精密な工事だった事も知りました。今からでは想像できない程大変な工事だった事と思います。
 白田切川土石流復旧現場では温泉の地熱で土が弱っていて崩壊しやすいとか、土石流はまっすぐに流れる傾向にあるため復旧工事では川の湾曲した部分をまっすぐにしたこと、土石流が起きた時には直角方向に逃げるようにと教わりました。
 地すべり資料館は防災センターのようになっていて実験コーナーでは液状化実験、地層堆積実験等見学しました。1日にわたって妙高砂防事務所の水澤さんの説明がとても丁寧でわかりやすかったです。ありがとうございました。


木澤
・災害はいつ来るかわからない
・自分の身は自分で守る・・・【守らねばならぬ!】
・家族を信頼し、先ず避難 避難場所で待機すること!

 地すべり博士「水澤 登」氏の説明につきました。
とても楽しく話に吸い込まれました。楽しんでお仕事されていて良いですね。
 みんなで「山の神」の恐さも充分感じ取る事も体感致しました。有意義な時間をご一緒させていただき感謝です。とても楽しい見学でした。
 ありがとうございました。

國田
 妙高砂防事務所水澤さんに案内された万内川の砂防、白田切川の土石流現場は美しい自然の彩葉のたたずみの中にあり、とても過去の災害を想像することはできませんでした。しかし、登録有形文化財となった砂防遺産は先人達の努力のはじまりで、今に住む私たちの命と財産を守ってくれている。新潟県砂防発祥の地としての歴史や重みを感じることができました。
 地すべり資料館では起こりうる自然災害がわかりやすく学べました。館内の興味をそそる実験や体験コーナーはとても理解しやすく、身近な危険から身を守る為の知識や備えがいかに大切かを学べました。
 楽しくわかりやすい解説をしてくださった水澤さんに感謝します。また、妙高砂防施設見学のしおりは、とても見やすく活動の振り返りに参考になりました。ありがとうございました。
 遠い新潟での見聞を身近な人たちに伝える事が私の役割と改めて感じました。

小林
 今回は200qも遠くの新潟県砂防発祥の地、万内川砂防を見学しました。明治35年の粟立山の崩壊。1年前より兆候はあった様ですが、ひとときにことごとく流す大惨事だったようです。その後の10年間の苦労は大変なもので、皆で助け合い、女は豆、粟、ソバを植え、男は炭焼きで生き延びました。それから日露戦争(明治37年)もありましたが、やっと大正10年から砂防事業が着手されました。すべて人力によって岩を割り、積み上げ、隙間を砕石でうめ、セメントでかためる。若い女性が100sのセメントを担ぎ、足場の悪いところを登っていく写真は胸を打ちます。
 有形登録文化財に指定されるほどきれいな作りにはびっくり。福井県のアカタン砂防を思い出しました。先人の苦労が今の豊かな生活を守っている事に感謝。
 白田切川土石流災害現場見学後、地すべり資料館では、水澤博士のユニークな実験、お話は記憶に残りました。ありがとうございます。

中村
 今年は頑張って活動に参加しようと、今回の「妙高砂防施設見学」に参加出来ました。万内川砂防堰堤群は今では砂防公園となって、砂防設備の見学を通して、後世へ先人の苦労や今後悲惨な災害が再び起きないようにするための知恵を登録有形文化財という形で残し伝える場となっていました。白田切川土石流の見学では、崩壊土砂が融雪水と混じり合いながら土石流と化して流下、川が氾濫し、尊い命を奪う大災害となったとのこと。これもまた、間接的に2つの川での自然の恐ろしい姿を垣間見ました。
 地すべり資料館では、どこでも起きうる自然災害について、いろいろなコーナーを通じてわかりやすく楽しみながら、体験を交えて学ぶことが出来ました。
 この貴重な体験を今後の活動に生かし、もっともっと知らない専門的なことを習得したいものです。

畠田
 新潟県、妙高市に砂防施設見学へ。天気もまずまず、片道2時間ほども苦にならない。石川県とは違った砂防現場の見せ方でやはり啓発活動に力を入れている。
 最初の場所は、万内川。万内川砂防が新潟県での砂防発祥地とか。大正5年から現在まで砂防事業は続いていて、今は登録有形文化財で保存されている。
 昼食後、白田切川。有名な赤倉温泉でホテル、スキー場のある山の上流域が崩壊して約62万m3の土石流。下流域の田畑、家屋、橋、鉄道を流しきったなど現場が一望できる貴重な場所で説明していただいた。
 本日最後の見学場所は山をかなり上ります。地すべり資料館がある場所は上越市板倉区で、過去に8m18cmもの積雪を記録したことがあるところだそうで、そこには地すべりも多かったために僧侶が人柱になり地すべりを留めようとした伝説が。
でも伝説ではなく本当の事で、僧侶の遺骨が見つかり人柱供養堂で手厚く葬られていた。
 地すべり資料館には、実験コーナーなどがあり、中にあるいろいろな実験道具は今回施設説明してくださった妙高砂防事務所の水澤さんの工夫した手作り感満載なもので、「でんじろう先生」のような先生に地層堆積実験などを見せてもらったのが面白かったです。
 各県の関係者の方々が災害についての対策も含め伝えて行くことに苦労している事がよくわかった施設見学会でした。

日比
 新潟県砂防発祥の地である万内川砂防見学に参加しました。
明治30年代後期に発生した粟立山の崩壊により、西野谷集落の多くの住宅や耕地が壊滅状態になりました。そこから砂防事業に着工するまで、実に20余年の年月を要したことには大きな驚きを感じました。
 西野谷集落の復興と県内初の砂防事業の実現には、先人達のなみなみならぬ熱い思い、努力は言葉で言い表すことができないものだったと思います。
 7、8号堰堤は、かんがい用水を取り込む珍しい機能を備え、石張りの取水路は万内川ではここでしか見られないものです。
 地すべり資料館では、とても楽しく学ぶ事が出来、いろんな工夫を凝らした実験装置は「なるほど!!」と感心させられました。
 近年異常気象の増加により、いつどこでも起こりうる災害に対し、私達は常に身を守る術を忘れず生活して行かなければと痛感しました。

餅井
 2時間にも及ぶ長時間移動での新潟県入りは、私にとりましては今回が初めてでした。
 新潟県妙高砂防事務所の水澤登氏に現地説明をしていただきました。空気も水も澄んでいる万内川砂防公園内の石積堰堤群は平成15年に有形登録文化財に登録されており、石工さん製作のカエルの石細工群は今にも飛びはねそうな躍動感に溢れ、バランス良く配置されて見ているだけで心が和みました。まほろばとはこう言った所なのかと思いました。
 地すべり資料館の2階のおもしろ実験コーナーでの液状化実験はわかりやすく説明をしていただきました。ありがとうございました。

山岸
 今回の活動は新潟県(富山県寄りではありましたが)ということで、移動に時間がかかったにもかかわらず見学地がいくつかあり多少時間に追われた感はありましたが、有意義な活動をさせていただきました。
 万内川、日影沢石積堰堤・床固工群ではおよそ100年前に人力により建設され、今もその効力を保っている貴重な石積の堰堤と川底まで石張りが施工されている登録有形文化財を見学させていただきました。
 当時の石工さんの技術力、施工にかかわった女性のパワーをひしひしと感じました。今後はそれらの堰堤を破壊してしまうような災害が起きないことを祈るばかりです。明治35年に土石流が発生したときも1年ぐらい前から兆候があったようですので、隣接する山々の変化を見逃すこと無く、早めの避難により犠牲者を出さないようこれからもお互いに注意していかなければいけないと感じました。
 白田切川土石流災害復旧箇所は、62万m3もの土砂が流出したにもかかわらず、災害の爪痕はほとんどわからない状態になっていました。現在スキー場で楽しむ人たちのほとんどは、災害の事はご存じないと思いますが、説明してくださった水澤さんの「また同じところで災害が起きる」という言葉が心に残りました。
  地すべり資料館では、地すべり博士に変身された水澤さんの生き生きとした説明をお聞きし、生の実験を見せていただき子供達だけでなく大人も地すべり等のしくみを興味深く知ることができると思いました。
 恥ずかしながら私自身も「液状化」と言う言葉は何度も耳にしていましたが、水澤博士の実験で初めて「液状化」がわかったような気がしました。
 私達はこれからも自然と共存していかなければいけませんこれまで災害が発生し、被害を受けた経験を後世に伝え、いかして被害を最小限にとどめる事が出来ればと思います。
 ”備えあれば憂いなし”今回の活動で学んだことを今後の生活に少しでも役立てていかなければと感じました。(喉元過ぎれば熱さを忘れる ですぐに忘れてしまうのですが・・・)貴重な経験をさせていただきどうもありがとうございました。)

山口(昭)
 「これを動かすとどうなるでしょうか?」水澤地すべり博士が土砂と模型の建物の入ったプラスチックケースを動かすとみるみるうちに水が沸き上がり、建物が崩れていきました。地震による液状化現象をわかりやすく知ることができました。
 興味深いパネル展示・おもしろ実験コーナーなどとても楽しく、地すべりや自然災害について学ぶ事が出来ました。水澤地すべり博士ありがとうございます。
 登録有形文化財の万内川の堰堤は景観もすばらしく自然と調和していました。そして先人達の砂防事業に対する思い、当時の砂防工事の大変さを知る事が出来ました。
 治水や砂防の大切さを改めて感じた妙高砂防施設見学でした。
 この施設見学を通して、自分も治水や砂防の大切さを発信できればと思いました。

山口(敬)
 今回の見学では、まず「新潟県砂防発祥の地」とされる、今は万内川砂防公園となっているところへ行きました。明治35年(1902年)の粟立山上流大崩壊の約20年後の大正10年(1921年)に、支流日影沢からの土砂流出があり、県下初の砂防事業が着手された場所です。時代に先駆けての階段式堰堤群は、今も残る施設として貴重な土木遺産となり、有形登録文化財に指定されています。
 現地に立って驚いたのは100年近く経っても堅固に残るすき間のない緻密な、今でも現役の石積みの堰堤でした。すべて現地の巨石を割り、地元の人たちの手によって造られたもので、黒々とした石はまだまだ現役で土石流のクッションになると思いました。
 公園内の所々にある石碑には写真や説明文が書かれていて、中でも心を打たれたのは、当時の人の「村がつぶされた。子供と遊んでやることもなく、来る日も来る日もただ働いた。(略)あれから一世紀。つらかった機能がうそのようだ。今度は子や孫にいい思い出を残してやらなくちゃなー。」という詩が刻まれていたことです。当時の悲惨さや砂防工事の過酷さがあってもなお、子や孫の将来に思いを馳せている事です。写真の中には女の人でもセメント2袋の約100sを背負っている場面もあり、災害の現地に来ているからこそひしひしと伝わるものがありました。この万内川砂防公園はとてもきれいに整備されていて、夏にはイワナのつかみ取りなどのイベントで、地元の人達がたくさん集まるのだそうです。この公園に来ることにより、土砂災害の怖さや砂防工事の大切さ、当時の人たちの思いが自然に学べるようになっていて素晴らしいと思いました。
 次に妙高山と赤倉山の麓にある白田切川土石流災害復旧(昭和53年)の現地に行きました。今は新しくなっている白妙橋を背にして、妙高山を仰ぐとそこを土石流が押し寄せてきたであろう事が容易にわかり、火山国である日本は地震が頻発し、山が70%あって急流も多く、どこでも土石流の被害は避けられないのだと暗澹とした気持ちになりました。しかしその後、川の深さや流線を変えるなどの河川改修や信越本線の流された線路部をトンネル化するなどの復旧工事がなされたのを知りました。
  最後は地すべり資料館に行きました。ここでは今まで現地を案内してくださっていた水澤さんが突然白衣を着て地すべり博士となり、地球の歴史や災害発生のしくみなどをパネルや実験を通して大変わかりやすく、また面白く説明してくださいました。人類の歴史は、地球46億年の歴史を24時間に例えたら、23時58分でたった2分程度の歴史の浅さで、「今想定外と言われている災害も、実は単に人間が知らないと言うだけのこと」、「自然災害はどこでも起きるということ」、そして「防災教育がいかに大切か」を力説されていました。最後、私達に「災害が起きた時に家族でどこに逃げるか相談しましたか?逃げる時は、家族を探しに戻らずに家族を信じて自分で逃げられますか?」と問いかけられた時、自分はたぶん大丈夫だろうと甘く見て相談さえしていないことに猛反省しました。東北の地震で「てんでんこ」という言葉とその意味をよく聞いて知っているのに、喉元を過ぎれば・・・で忘れかけていたのです。
 災害の怖さとその犠牲からの貴重な教訓を日々伝えて行くことこそ私たち特派員の役目なのだと改めて気付かされた一日となりました。
 関係者の皆様ありがとうございました。。