金沢河川国道事務所

第5回活動--平成27年11月5日(木)

 平成27年度第5回目の活動は、福井県のアカタン砂防を見学しました。
 アカタン砂防は、福井県を流れる日野川の支流の田倉川に注ぐ渓流の赤谷川(アカタン)に、明治30年代に作られた砂防堰堤群です。

★参加人数★
 白山砂防女性特派員 18名

  • アカタン砂防えん堤群見学
 
アカタン砂防エコ・ミュージアムで説明をうける 
 
アカタン砂防堰堤群 九号堰堤 
 
アカタン砂防堰堤群 八号堰堤 
 
アカタン砂防堰堤群 奥の東堰堤 
 
 アカタン砂防堰堤群 松ヶ端堰堤
活動報告

伊藤】【國田】【鈴木】【田渕】【西村】【日比】【松本】【】【餅井】【山岸】【山口(昭)】【山口(敬)】【米山

伊藤
 北陸の11月にしては貴重な晴れの日でした。おかげでアカタン砂防えん堤を見学することができました。
 平成8年から12年にかけて発掘されたとの事でしたが、その苦労は本当に大変な事だったでしょう。農業の合間に、そして家族からも「何してる?」と思われながら・・・
 明治33年に始まって約7年も要したえん堤は、今見てもすごいと思われます。全て人力による想像を超える大仕事だったと思います。
 普通は真ん中を流れる水がアカタン砂防えん堤群では、左右の岩盤の上を流れるのが特徴ということでした。大きな岩の間(すき間)を水が流れることによって決壊が防げていることも知りました。
 「田倉川と暮らしの会」の方々、特に地元の方々の努力でアカタン砂防えん堤群が守られていました。
 
國田
 登録有形文化財に登録されているというアカタン砂防の見学は、明治の砂防堰堤群として、今は私たちの目に触れるように整備されているが、土砂や雑草に埋もれ忘れられていたという。その昔、人力だけで造られたという完璧さや美しさにも驚いた。百年以上もその原形をとどめ、しっかりと役割を果たしているという。老若男女が力を合わせて自分たちの命や財産を守った,その伝統を今に伝えている有形の財産こそ絆なのではないかと思った。発掘、保存しているボランティアの方々の誇りではないだろうか。
 特に、野面積みで造られた松ヶ端堰堤は、自然に溶け込んだ美しさばかりでなく今もその機能を果たすだけの知恵が満載されている。昔の人は凄いと思った。ゆっくりと歩いてその歴史的遺産を堪能したい気分にさせられた
 合宿生活の楽しみは夢物語、危険と背中合わせの現場には無人化施工となり、時は全体の形を変えていくかもしれないが、根底には脈々と受け継がれる魂がある。地域の人々の命と財産を守る弛みない活動がある。感動と感謝の一時だった。
 
鈴木
 アカタン砂防という、明治時代の人力石積み大工事を、実際に見て歩き、その完成度に感動しました。
 語り部のイトウさんのお話しや、説明資料も分かりやすく、有形文化財に登録されたとは言え、地域ぐるみで大切に保存しているのが、伝わってきました。
 当時7年間の、人力のみによる石積み工事が、100年以上に渡り、その後の地域の生活を守った事は、驚きです。
 山の木々に埋もれた石積み堰堤を、見つけ出し、案内して下さった、イトウさん達のご苦労に感銘致します。
 
田渕
 アカタン砂防見学に参加して、市ノ瀬のような土石流で一山が流れる様は、福井県にもあったとは、たぶん全国どこにでも・・・
 堰堤の役割やら石積みのきれいな風景に見とれて、もっと上流の方に行ってみたいと思いました。
 城壁の石垣のような下から野面石を積み上げ、間に小さな石を組み込んで水はけも良く、なにより運ぶことが重労働で丸太を並べてたくさんの人で運んだんだろうと、すばらしい景観の堰堤でした。
 水の流れも岩盤に沿って、長い年月変わることがない浸食を防げて知恵がいっぱい。
 
西村
 北陸自動車道/今庄ICを下車しR365を2キロ南下した辺りにアカタン砂防ミュージアムがあります。アイヌ語の様な名称になぜこの名称かなと思ったのですが、福井県を流れる日野川の支流、田倉川に注ぐ渓流の赤谷川(アカタン)がその様に呼ばれていたのです。
 明治28年〜30年にかけての大雨で被害が多く出た時に造られた9基の堰堤や護岸などの砂防施設で県が第一期砂防事業を行いました。
 多くの地元の人々と技術者が地元に有る素材を巧に活かして作られ男の人だけでは無く、女の人や子供達も参加して1日300人近くの人が働き、完成までに約7年の歳月を要したと言う、当時にしては大がかりな砂防堰堤作成になったのです。それらの堰堤は長い間、土砂や草木に寄り埋もれていて、平成8〜12年ころに地元の方達に寄り探しあてられ、現在も地元の人々に寄り保護管理され活用されているものです。
 百何十年も経過していても、そのまま右か左の岩盤に水を通すこの工法は珍しく、平成16年には国の登録有形文化財に指定されています。
 私達特派員は説明を受けてから、スバルサンバートラック4台の荷台に乗り込み、堰堤4基を見学させていただきました。私達は久し振りの体験に子供の様にはしゃいでしまいました。
   『田倉川と暮らしの会』の1級インストラクター、伊藤喜右エ門さん今日一日説明有難うございました。
 この辺りでは子供達が様々な自然体験に多く訪れて賑わっているようですね。冒険が一杯出来そうで楽しいのでしょうね。
 
日比
 青空のもと気持ちよく北陸道を走り、目的地に到着。
 エコミュージアムにてアカタン砂防についてジオラマや写真での説明を聞く。明治中期の大雨により、集落が壊滅的打撃を受け、第一期砂防事業の対象となる。
 実際に現場に足を運び説明を聞く。奥の東えん堤、松ヶ端えん堤は現存する数少ない野面積みえん堤である事。機械も無い時代に人間の手作業によってこの様な大工事を行った先人の苦労は並大抵のものではなかったと思います。
 百年以上も経過している今も完全な型を成し、今日人々の生活に寄与していることに感慨深いものがあります。
 岩盤側に水を流し、浸食を防ぐ知恵、そして苔に覆われた野面積みの美しい形状は、今日ある多くのコンクリートダムとは違い、見ていて心なごむものがありました。
 時間の関係で上流までは行くことが出来ず残念でした。
 砂防というものは、遠い昔から人々の生活とは切り離すことの出来ない大切な役割を担っていると改めて認識しました。
 
松本
 初めての福井県への砂防見学のせいか、たくさんの隊員の参加となり、天気も良く実りある見学でした。1箇所だけでしたので時間的にもゆったりと余裕がありました。
 アカタン砂防えん堤の説明を「田倉川と暮らしの会」の会員の方が丁寧にしてくださり、更に9号から6号えん堤現場見学にはなんと軽トラックを4台も出して下さり、びっくりするやら楽しんだり、ただ感謝しました。
 明治33年から百年以上たっているので資料もなく埋もれていたえん堤を昔の方の記憶(うろ覚え?)で、草むしり、樹木の伐採、道なき道を見つけながら整備されたとか。地元の方の知恵と労力で作られたえん堤は素朴だけど理にかなって、(自然の石を使い、しかもくずれない)コンクリート製のえん堤よりもエコで素晴らしいと思いました。また、地元の人々が子供から老人まで総出で協力して作ったという、昔の協力的な良さがただ感心するばかり。
 9号から6号までしか見学できませんでしたが、1号までは往復すると5時間ほど歩いてかかるとか。一度ゆっくりとウォーキングしてみたいと思いました。
 

 朝から晴れ渡りドライブ日和となりました。
 私たち一行は一路 福井県南越前町「アカタン砂防」を目指して出発しました。アカタンとは日野川の支流、田倉川に注ぐ渓流、赤谷川の通称のようです。明治28,29年の大豪雨で流れ出した土石流が アカタンを下り付近の田畑を押し流し田倉川の本流の前で止ったそうです。
 明治30年に国で砂防法が制定されると 福井県の砂防第1期工事として明治33年に着工され7年の歳月を掛けて9基の堰堤が完成しました。石積み7基と土盛り2基です。一番下の9号の土盛り堰堤は近くの山から運び出された土を女性や子供の労働力で築かれました。
 100年余の歳月で 堰堤群はすっかり草木に覆われて存在すらわからない状態でしたが、 ガイドの伊藤さん達が平成8年調査を開始しようやく全容を見ることができたそうです。野面積みの石、岩盤に水を流し浸食を防ぐ知恵がいっぱいつまっているなど平成16年文化庁の登録有形文化財に登録されました。
 軽トラック4台の荷台に分乗し、アカタンの杉林奥深くに分け入り100年余昔の先人達の足跡を学ぶことができ 感慨深いものがありました。

餅井
 今庄ICから15分ほどでリトリート田倉に到着。バスから降り立つと早めの紅葉と澄み切ったおいしい空気が迎えてくれました。
アカタン砂防エコミュージアムでは、伊藤喜右エ門氏による、明治時代の砂防堰堤作りの経緯や模型とパネルの両様での解りやすい説明を受けました。大平から田倉川まで一週間かけて土石流が流れ出て来たため、合計9基の堰堤を作り上げるのに、7年間の歳月を要したとのことでした。
その後、軽トラに分乗して4箇所の堰堤見学へと案内していただき、特に最初に見たきれいに出来上がった9号、8号の土堰堤では、地域の女性や子供達の作用である千本突き工法等をさせられてきたと思うと、かわいそうで過酷重労働作業にすぎないかと思わざるを得ないです。これも生活の糧となる、田畑の復旧作業に携わらなければという思いからだったのでしょう。
石積み堰堤である奥の東堰堤と松ヶ端堰堤は、右または左の堅い岩盤の上へ水を通すと行った合理的な作りで、あと5基の石積み堰堤も同じ特徴を持って作られているので、平成15年に国の有形文化財として登録されました。
地域の人々との助け合い精神とは、この地で生きていく上では大切な事なのですね。

山岸
 今回の活動は、身近な地域住民の方々が施工された「石積み」・「土堤」の素朴な砂防ダムの見学でした。
 石川県でも土木遺産に指定された甚之助谷の石積の砂防堰堤や中飯場の空石積の堰堤等見学したことはありましたが、今回のような3.5qの範囲にわたる9基の明治時代に施工され、土や雑木に埋もれていたところを掘削され、整備され、きれいな姿を現した堰堤(残念ながら今回は4箇所のみの見学でしたが)を身近で見学させていただき感激しました。
 説明して下さったいとうさんのお話にもありましたが、数名の有志の方のご尽力のおかげで私たちも貴重な土木財産を見学することができました。
 見学の際もボランテイアで軽トラックを持ち出し運転もしていただきましたし、堰堤周辺の草刈り・清掃等今後の維持管理が大変だとつくづく感じました。
 現在も活躍中の堰堤です。行政の力も借りながら後生に伝えていって頂きたいと思いました。
いつもと趣が変わった楽しい活動となりました。どうもありがとうございました。
山口(昭)
 秋晴れの穏やかな日となり、地元の伊藤様のご案内でアカタン砂防を見学させて戴きました。
 明治時代に行われた砂防事業を間近で見せて戴き、堰堤の壮大さとまわりの自然との調和がとても素晴らしかったです。地元の方々の努力で歴史的な堰堤が保存されていることにとても頭が下がる思いです。
 機会があればゆっくりと堰堤群を見学したいと想いました。本日はどうもありがとうございました。
 「国を治めし者は 川を治めよ 川を治めし者は 山を治めよ」印象的な言葉でした。

山口(敬)
 白山砂防については、これまでにも見る機会はありましたが、白山砂防女性特派員一年目ということで、今回初めて他地域の砂防の様子を見ることができ、大変興味深かったです。
 特に遠くからではなく、間近に迫って見学できて感動しました。100年前に明治の村人総出で一つ一つ石を積み上げ、又は土盛りをして、今尚立派に砂防の役目を果たしていることは、当時の緻密に計算された設計や工法の技術のすごさも実感できました。
 明治28年からの赤谷川の土砂崩れにより村が消失して砂防工事が着手されたとのこと。日本の国土の70%が山林であると昔に習いましたが、日本各地に砂防えん堤が作られているだろうと想像でき、また他の砂防えん堤にも興味がわきます。また、このアカタン砂防を発掘された村の人々のロマンとご苦労に頭が下がります。
 今庄のそば定食もおいしかったです。晴天の一日となり、楽しく過ごさせていただき、係の方にも感謝しております。

米山
 いつもありがとうございます。今回も、知らないことを知ることができました。
 奥さんに怒られながら探された人、それと9?歳の人が生きていたことで、話が聞けたこと、災害が今、現在ないことなど、、、、、
  9号堰堤も小さな石が、集められていましたが、子供や女の人が、参加したとの事ですが、岐阜からの砂防専門官と石積み専門工が集められたとの事でした。人々の、災害を繰り返さない、という思いを感じました。
 石積みがきれいなことに、驚きました。松ヶ端堰堤も見た時に、上部がまっすぐになっていて、なおかつ水を流す方向に、斜めになり、岩盤の上を流れていました。7つのコンクリートの砂防壁もあってのことだそうです。
 土砂災害防止月間の時にひかれたチップの歩く道もふかふかで気持ちがよかったです。
 軽トラックに乗ったこと、リトリートたくらでの、お蕎麦が美味しかったこと、そこにあった農機具は、祖父の家に有ったものばかりでしたので、懐かしくおもいだしました。