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洪水の歴史

既往洪水

 千曲川流域の洪水の歴史は、文献から仁和4年(888年)、最も古い記録があります。歴史上、特記すべき洪水として、寛保2年(1742年)の洪水が「戌の満水」と呼ばれ、千曲川史上最大の洪水として知られています。  
 千曲川流域は地盤の隆起などにより形成された狭窄部(中野市、飯山市)によって昔から多大な被害が発生しています。


既 往 洪 水 一 覧 表

洪水の発生年をクリックすると詳細を見ることができます。
洪水発生年 被 害 状 況
寛保 2年(1742) 戌の満水、千曲川で史上最大の大洪水、全滅村落数知れず。死者は2800人に及ぶと言われている。
弘化 4年(1847) 善光寺地震による土砂崩れが犀川をせき止め、崩壊し下流に大きな被害をもたらした。
明治元年(1868) 千曲川7回出水、4月と5月の洪水は川沿いの村落に甚大な被害を与える。
明治29年(1896) 千曲川、寛保以来の大洪水。流出、浸水家屋は10000戸を超えた。
明治30年(1897) 千曲川、犀川ともに洪水、千曲川流域で浸水家屋590戸。
明治43年(1910) 千曲川をはじめ、各河川が氾濫、甚大な被害を受ける。
大正 3年(1914) 死傷者36人、流出家屋30戸、浸水家屋339戸。
昭和20年(1945) 台風の影響による低気圧による大雨、死者42人、床上浸水2204戸、床下浸水4843戸など甚大な被害が発生。
昭和24年(1949) キティ台風による洪水、全壊家屋45戸、半壊家屋187戸、浸水家屋1478戸。
昭和33年(1958) 台風21号により中小河川が氾濫決壊、死者9名、全壊家屋9戸、半壊家屋62戸、流出家屋19戸、床上浸水564戸、床下浸水2807戸。
昭和34年(1959) 長野県を縦断した台風7号、戦後最大の洪水、死者・行方不明者が65人にも及び、全壊家屋、半壊家屋、床上浸水・床下浸水は20600戸に及んだ。
昭和36年(1961) 千曲川流域の死者107人、全壊家屋903戸、半壊家屋621戸、床上浸水3170戸、床下浸水15351戸。
昭和37年(1962) 立ヶ花水位6.48m
昭和40年(1965) 長野県内死者2人、床上浸水265戸、床下浸水2815戸。
昭和44年(1969) 犀川支川高瀬川流域に被害が集中、観光シーズン中のため、観光客、登山客が高瀬、梓渓谷に約500人取り残され、3日後に救出。
昭和56年(1981) 昭和34年以来の大洪水、死者11人、床上浸水4906戸、床下浸水3683戸。
昭和57年(1982)8月 梅雨前線による降雨に加え、台風10号による洪水、立ヶ花で昭和34年に次ぐ戦後第2位の規模。死者4人、全壊流出家屋23戸、半壊44戸、床上浸水80戸、床下浸水1384戸。
昭和57年(1982)9月 台風の当たり年、台風18号による洪水、千曲川の支川樽川が決壊、被害家屋約6,000戸。
昭和58年(1983) 台風10号による洪水、千曲川が破堤、被害家屋約6,600戸、立ヶ花で既往最高水位を記録。
昭和60年(1985) 犀川で河岸の洗掘など被害発生、床上浸水171戸、床下浸水1032戸。
平成 7年(1995) 梅雨前線による洪水、千曲川下流部を中心に大雨が降った。その結果、家屋浸水765戸、JR飯山線に大きな被害が発生した。
平成10年(1998) 床上浸水118戸、床下浸水110戸。
平成11年(1999) 熱帯性低気圧による洪水、死者1名、浸水家屋779戸、道路寸断、列車運休が多発した。
平成16年(2004) 台風23号による洪水、立ヶ花において既往第4位の水位を記録、浸水家屋139戸、緊急復旧3カ所、排水ポンプ60時間、水防活動延べ220人等。
平成18年(2006) 7月梅雨前豪雨による洪水、立ヶ花及び陸郷において既往第2位の水位を記録、緊急復旧5箇所、水防団延べ約5000人、避難勧告4市11地区。

 

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