掲載日 2011/12/21
千曲川にかかる村山橋に「メモリアルパーク」が完成しました
大正15年(1926年)に架橋された旧村山橋は、80年以上にわたり須坂市と長野市を結び、地域の発展に貢献してきましたが、老朽化などの理由により平成21年11月にその役目を終え、撤去工事が進められていました。
その一方で、美しいトラス構造であり、全国的にもめずらしい鉄道との併用橋であることなどから、近代土木遺産として後世まで残したいという要望が地元などから寄せられたため、平成22年に地元区民などによる「旧村山橋保存会議」が開催されました。その意見をもとに長野県や須坂市が事務局となって保存の基本計画のとりまとめを行い、県の道路休憩施設として保存することが決まり、この平成23年12月に完成しました。
「村山橋メモリアルパーク」と名付けられたこの施設は、旧村山橋のシンボルである親柱を中心に、レールによる車止めや、トラスの一部を使ったベンチなど、旧橋に使われていた部材を、思いもしなかった形で再利用した、ユーモアとアイディアあふれる公園となってお披露目されました。
とりわけ親柱は、大正時代の姿を忠実に復元し、製糸産業の街として栄えた須坂市の歴史を物語るかのように、糸枠をモチーフにしたような形状となっており、建立当時は親柱のうえにさらに糸枠を模したものが載せられていたことなどが紹介されました。
12月17日(土)に開催された完成記念式典は須坂市村山区が開催し、行政担当者や地域住民など約80名が参加しました。ガールスカウトの子供達らによる親柱の除幕や、小学6年生による獅子舞奉納などが催され、寒風が吹きすさぶ天候の中でも、暖かみの感じられる完成式となりました。
(用地課 春原)
その一方で、美しいトラス構造であり、全国的にもめずらしい鉄道との併用橋であることなどから、近代土木遺産として後世まで残したいという要望が地元などから寄せられたため、平成22年に地元区民などによる「旧村山橋保存会議」が開催されました。その意見をもとに長野県や須坂市が事務局となって保存の基本計画のとりまとめを行い、県の道路休憩施設として保存することが決まり、この平成23年12月に完成しました。
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レールの車留め | トラスのベンチ |
「村山橋メモリアルパーク」と名付けられたこの施設は、旧村山橋のシンボルである親柱を中心に、レールによる車止めや、トラスの一部を使ったベンチなど、旧橋に使われていた部材を、思いもしなかった形で再利用した、ユーモアとアイディアあふれる公園となってお披露目されました。
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復元された親柱 | メモリアルパーク全景 |
とりわけ親柱は、大正時代の姿を忠実に復元し、製糸産業の街として栄えた須坂市の歴史を物語るかのように、糸枠をモチーフにしたような形状となっており、建立当時は親柱のうえにさらに糸枠を模したものが載せられていたことなどが紹介されました。
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親柱の序幕 | 獅子舞奉納 |
12月17日(土)に開催された完成記念式典は須坂市村山区が開催し、行政担当者や地域住民など約80名が参加しました。ガールスカウトの子供達らによる親柱の除幕や、小学6年生による獅子舞奉納などが催され、寒風が吹きすさぶ天候の中でも、暖かみの感じられる完成式となりました。
(用地課 春原)