中学生の部 銅賞作品 「千曲川のはん乱」 吉田 和真 須坂市立墨坂中学校

 平成十八年七月。長野県内のあちらこちらで降り続いた雨は、なかなか止まなかった。
 僕の住んでいる須坂市も、たくさんの雨が降った。七月十八日の日は、朝から晩まで一日中雨が降り続き、学校にいた僕も、窓の外ばかり気になっていた。校舎の南側は、百々川が流れている。いつもは、あまり気にならない川のことも、この日はとても気になった。なぜかというと、住んでいる自宅も川に近い所にあるからだ。昔、須坂市でも雨による災害があったということを聞いたことがあったので、この雨が災害につながらなければいいなあと思っていた。学校から帰り、すぐテレビを見た。岡谷市などで水害が発生し、行方不明者が出たり、住宅が壊れて困っている人の姿が映し出されていた。それを見て、僕の町は大丈夫なのかと心配になってしまった。
 次の日、いつものように登校した。昨日からの雨は、まだ止まない。僕が授業を受けている頃、市の消防団員である父は、出動の要せいを受け、すぐに仕事を取りやめて千曲川の堤防に向かったそうだ。川の近くの村山町や相之島町など、床下浸水で住宅が水浸しになってしまったり、大雨により河川じき近くの畑がやられ、果物が全滅してしまったところがあったという事実を父から聞いた。川の水は、警戒水位をはるかに越えて、決壊まで、あと一メートルぐらいにせまっていたことも知った。現場は見ていないけれど、とても大変なことになってしまったということは実感できた。
 父は、現場でひたすら土のうを積む作業をやったそうだ。土のうはとても重く、肩や腕が痛くなる大変な作業だと思う。家に作業からもどった父に、僕は自然に
「お父さん、お疲れさま。肩をもんであげようか。」
と言葉が出た。父は、
「ありがとう。川はすごかったぞ。おだやかな千曲川が、怒りくるってしまったからな。自然の力にはかなわないものだ。」
とぽつりと言った。それを聞いた僕は、父の肩をもみながら、川の様子を思い浮かべていた。
 母からもこの日、勤務している保育園に、災害地区の保育園児がたくさん来た話を聞いた。通っている保育園が床下浸水で使えなくなり、急きょ母の努める園に登園することになったらしい。母は、職場で増水した川の様子を撮った写真を見て、とてもおどろいたと話してくれた。
 川は、僕の大好きな場所だ。小さい頃から家族で川岸で遊んだり、魚つりを楽しんでいたので、とても身近な存在である。その時の川は、やさしく、僕を和ませてくれるところ。しかし、今回起きた雨で増水をした川は、人々を不安に陥れる恐ろしい川。どちらの川も同じ川なのだ。
 しばらくしてから、父に千曲川に連れていってもらった。川は、とても静かに流れていた。
「この川が、そんなに水があふれるほどだったの。」
と父に尋ねると、
「そうだ。暴れまくっていたんだぞ。」
と答えた。たしかに、川のまわりの様子は、父の話を裏づけるくらいのひどい荒れた状態。本当にすごかったんだなあと思った。
 川は、僕たちにとってとても必要不可欠だ。飲み水の供給や発電などの資源になっている。それは、あたり前で改めて考えてみることなどなかったけれど、この水害は、いろいろなことを考えさせてくれた。インターネットなどで、川について調べようと思っているし、日頃から川をできるだけ自分の目で見て、確かめたいと思う。
 夏休み中、百々川に行ってみた。静かに流れていた。僕は、とてもほっとした。いつまでもこのままの川の流れでいてほしいなあと思った。
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