中学生の部 銀賞作品 「川と私たち」 丸山 遼  須坂市立墨坂中学校
 
 僕の家のすぐ近くを流れる千曲川。普段はおだやかな流れで、釣りをしている人を見かけることもある。河川敷に整備されたグラウンドではサッカーや野球などの試合や練習でにぎわっている。また、広い土地を利用した野菜や果物の栽培も行われている。
 しかし二年前、十月二十日の台風二十三号の豪雨の影響で千曲川が増水し、河川敷のスポーツ広場や果樹園が壊滅的な被害を被った。
 スポーツ広場では、サッカーのゴールや仮設トイレが流され、砂地や芝のグラウンドは使えなくなった。果樹園や野菜畑も、ほぼ全滅の状態だった。りんごは被害を受けたが、桃は収穫が終わっていたのでよかった。
 当時、僕は小学六年生だったが、こんな経験は初めてでびっくりしてしまった。通学路を横切る権五郎川があと十センチくらいであふれそうだったので、学校の先生が送り迎えをしてくれた。先生が堤防の道を通ってくれて千曲川の様子を見ることができた。その様子を見て余計びっくりしてしまった。
 翌年は特に災害は起こらなかった。これでもう災害は来ないだろうと思った矢先、今年(七月十九日)は台風ではなく梅雨による豪雨で千曲川が増水した。今年の梅雨はたくさんの量ではないが常に雨が降っていたので川の水が増えてしまったのだと思う。祖父母や母も「一年おきにこれじゃ、農業の痛手も大きい。」と言っていた。
 今年の千曲川は、二年前の台風のとき以上に増水し、村山橋の北側の古い橋が通行止めになり、長野電鉄も不通になってしまった。
 あと五十センチで堤防を越えてしまうとか、避難勧告が出たとかいう話を聞いて、僕は驚いたというより恐怖感を覚えた。でも翌日は千曲川の水位がある程度さがったのでよかった。今後一週間は雨という予報だったが、その後も順調に水位はさがっていったので堤防決壊の恐れはなくなった。福島町の中でも床下浸水などの被害はあったようだが、幸い我が家に被害はなかった。
 生命の危険はなくなったものの、河川敷の畑はひどいありさまだった。前回の水害は秋だったので桃の被害はなかったが今回の水害は、前回の水害のちょうど三ヶ月前で桃は収穫の真っ最中だったため痛手を被った。もちろん桃は全滅。
「我が家は桃だけでも七十万円の被害はあるだろう。」
と祖母は話していた。野菜畑も全滅の状態だった。特にじゃがいもなどは、まだ掘っていなかったのに畑のあちこちに転がっていたそうだ。それでも、もったいないと思い転がっているいもだけでも拾ってきたが、川の水に含まれていたバイ菌のせいか、日が経つごとに表面からくさっていき、掘った翌日から二〜三日は一晩で採取カゴ一杯分、そのあとは毎日十個ぐらいずつ捨てていた。ただ幸い我が家は河川敷で果物や野菜をあまり作っていなかったのでよかったが、河川敷の畑を中心にやっている人は今年の収穫はほとんどないだろう。近所では夏野菜が全く獲れなくなってしまった家があり、分けてあげている。
 家の庭からは、土が吸収しきれなくなった雨水が少量だが、わいてきた。庭が池のようになっていて、びっくりしてしまった。
 僕や母はこんな状態は初めてだったので慌ててしまったが、祖父や祖母は
「自主避難勧告が出ているが福島で避難する人なんていないだろう。」
と言っていたくらいだった。それがこの土地に八十年住む人と、十三年しか住んでいない人の経験の違いかなと僕は思った。
 水害のニュースはテレビでもよくやっている。画面で見ているだけでは、ただ単に報道の一つとしてしか感じないが、実際に自分の住んでいるところが水害に遭うと、とても人事ではないなと思ってしまう。
 普段はおだやかで静かな千曲川でも、あのように乱暴で恐ろしい顔を持っている。今回の水害で僕は、人間の科学技術がどんなに進歩しても自然の力には勝てないということを思い知らされた。僕もこれから何十年もこの土地で生きていくのだから、こういうことを通して川との付き合い方を学び、川と共にうまく生きていきたいと思う。
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