中学生の部 銅賞作品 「僕と祖母と千曲川」 滝沢 啓太 長野市立篠ノ井西中学校


 「千曲川」―どことなくなつかしく、なじみ深い響きです。僕は昔から千曲川とふれ合ってきました。
 千曲川と言えば、いつも祖母のことを思い出します。祖母の家は千曲市の若宮にあり、家の裏の土手を越えれば、そこはもう千曲川、という場所にあるため、毎日千曲川を眺めて生きてきたそうです。
 そんな祖母の家を、僕はよく家族と一緒に訪れます。その時は、決まってお茶を片手に祖母は僕に話をしてくれます。その話というのが、最近の事から昔のことまでさまざまな話題なのですが、必ずといっていい程千曲川が出てきます。その全てが暖か味のある、味わい深い話で、僕は祖母の話が大好きです。
 毎回千曲川が話に出てくるぐらい、千曲川と深くふれ合い、僕の経験の中で最も千曲川を見てきた祖母がある日、
「一度でいいから死ぬまでに千曲川の源流を見てみたいもんだね。」
と、語っていました。きっと昔からそう思っていたのでしょう。そんな祖母の夢が、七月に現実となりました。母が、僕と祖母を源流を見に連れていってくれたのです。千曲川の源流は、川上村の甲武信ヶ岳という山の登山道の途中にあります。登り口から三時間の登山をしなければならず、自分の力でなければ見てはこれません。しかし、祖母は自分の年齢も気にせずに、畑仕事できたえている足腰と、もうすぐ夢がかなうという思いで、三時間の登山を歩き通しました。登り口からずっと登山道の横に、川幅の狭くなった千曲川が流れていたので、このせせらぎも力になったのだと思います。
 そして、苦労してようやく見ることのできた源流は、小さな岩のすき間から水が流れ出ているというものでした。本当にごくわずかな量の水が流れているだけのものが、あの大きな日本一の川になるなどとは、想像もできませんでした。でも、それが僕や祖母がふれ合ってきた千曲川なのです。このわずかな水が、川に住む生物の源となり、下流に住む人々の役に立っています。実際僕も、千曲川にいろいろな体験をさせてもらって今の自分に至っています。
 人間も川も、最初はほんのわずかな源から生まれて、時と経験を経るごとに大きく成長し、自分のため、人のために生きていける存在になるのだと思います。僕はもうすぐ人生の第一関門ですが、この体験で得たことを生かし、いろいろな経験をして自分をみがき、大きくなっていきたいと思います。

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