中学生の部 銀賞作品 「川と私たち」 高島 健輔 信州大学教育学部附属長野中学校1年
僕が住んでいる柳原の南には千曲川が流れています。この柳原は、ちょうど千曲川と犀川が合流する下流にあります。だから昔から幾度となく洪水や氾濫に見舞われてきました。僕は地域で起きた洪水や氾濫について調べてみました。
 調べてみたら二つの大洪水がありました。一回目は明治二十九年の大洪水です。連日続いた豪雨で川の水が氾濫して堤防を押し切って田畑や家屋が一メートルほど浸水したそうです。
 二回目は昭和二十四年に起きました。同じく豪雨で裾花川の堤防が決壊して、水は長野駅南一帯から大豆島、朝陽を浸水して、ついには柳原全域に水が押し寄せてきたそうです。
 この事以外に父親から聞いた話では、昔は近くの用水路が氾濫して家の周りが水で浸ってしまって、学校に登校する時は舟で行ったそうです。
 しかしここ数年このような大きな水害は起きていません。僕が思うには、排水機場や、しっかりとした堤防などが整備されたからだと思います。
 詳しく調べてみました。その結果、一番の理由は頑丈な堤防ができたからでした。今ある堤防は大正二年に建設することが決まったそうです。理由は今までの堤防は、造りが簡単で高さが二メートルほどしかなく、すぐに決壊してしまうので、頑丈で高い堤防が望まれたからだそうです。
 大正七年に工事が始められて、昭和十六年にすべての工事が終わりました。工事着工から二十三年かけて完成しました。
 この堤防があるから洪水になっても水は村の方には流れてきません。
 第二に排水機場がある事です。たしかに頑丈な堤防があれば千曲川の方は大丈夫ですが村の内を通る用水路は危険です。最初の方で話しましたが、父親が小さい頃体験した水害は千曲川によるものではなく、用水路によるものでした。このように千曲川は大丈夫でも用水路が氾濫しては意味がないと思います。
 このような事が頻繁に起きたため、用水路の水位を調節する排水機場ができたそうです。
 この二つの設備が整った事によって、ここ数年大きな水害は起きていません。
 でも排水機場は、誰かが操作しなければ動きません。その事について父親に聞いてみました。川の水位が上がったら、区の役員や消防団が機場に行って夜中ずっと川の水位を警戒しているそうです。僕はそんな事を全然知らなかったので驚いてしまいました。
 知らない所でこういう人達ががんばってくれているから僕達は安全に暮らしていけるのだと思います。
 昔から沢山の人達が水害を防ぐために尽くしてきたけれど、そういう人達の力があってこそ今の安全な千曲川が成り立っているのだと思います。
 そんな千曲川ですが、僕が通っていた柳原小学校の校歌にも歌われているように、地域の人々に親しまれている川でもあります。
 例えば、河川敷では野菜の栽培がさかんです。また、川原ではバーベキューや釣りや水遊びをしている姿が多く見られます。河川敷のグランドではサッカーや野球などの試合が行われています。夏には花火大会なども行われています。このように千曲川は地域の人々に必要不可欠な存在です。
 しかしここ数十年の間に川の水はだいぶ汚染されてきました。父親が小さい頃は千曲川で泳いだと言っていたけれど今の川を見ると嘘みたいです。
 でもこのごろは下水道が整備されてきています。豊野町には千曲川流域下水道終末処理場クリンピア千曲があり、そこでは下水をきれいにして千曲川に返しているそうです。
 このような設備ができて、だいぶ千曲川の水もきれいになってきているけれど、昔のように、泳げるぐらいきれいな水になるまでは、まだまだかかりそうです。きれいな千曲川になるには一人一人自覚を持たないといけないと思います。まず身近な所から直していく、川にゴミを捨てない。このような小さな事の積み重ねで千曲川がきれいになっていくと思います。
 千曲川には悪い点もあるけれど、良い点も沢山あります。悪い事ばかりだと思わないで今までのように千曲川とうまく付き合っていけたらいいと思います。
 僕は、これからも安全な千曲川でいてほしい。そして、今の千曲川をもっときれいにして次の世代に渡さなければいけないと思います。
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