中学生の部 銀賞作品 「笑っている川が好き」 山嵜 亜花里 須坂市立墨坂中学校2年


 私の家の周りにはたくさんの川が流れている。田んぼに注ぐ川、清水が湧き出て沢ガニがいる川、泥臭いけどフナやコイなど魚であふれる川、一際大きくて長い千曲川。小さい頃から私の生活には川がいつもそばにあった。人が怒ったり泣いたり笑ったりするように、川も季節や周囲の様子によって違った表情を見せてくれる。そんな川の表情の中で忘れられない顔がある。
 小学校二年生くらいだっただろうか。友達と泥まみれになってザリガニやフナを捕まえて遊んだ川が、ある日コンクリートで埋め固められてしまった。もちろんザリガニやフナは消えてしまった。後に残ったのは、泥臭さもなく水だけが流れる人工の川だった。すっかり変わってしまった川の姿を「ぼーっ。」と眺める私は「助けて。」とザリガニ達だけでなく川も叫んでいるような気がしてならなかった。その時の川は寂しそうに泣いているようで、私まで泣きだしそうになったことを覚えている。最近、無表情だけど、どこか悲しげなそんな川が身の回りにとても増えている。これはどんなことを意味しているのだろう。
一見、川が整備され町や道路がきれいに見える。しかし、その裏側であの時のザリガニ達のようにたくさんの生き物が姿を消してしまっているのだ。
「我が家の前を流れる川にも昔は蛍がたくさんいたんだよ。」
おじいちゃんが話してくれたことがある。お父さんが子供の頃にも蛍は飛んでいたという。きっとその当時の川は蛍の温かい光に囲まれて幸せそうな顔をしていたのだろう。しかし今では毎日のようにビニール袋に入ったゴミが流れてきて始末に悩まされている。不機嫌な顔をして毎日川は流れてくる。
 いつからこんな風になってしまったのだろうか。川は、大昔から私たち人間が生きるために必要とする水を運んでくれている。飲み水はもちろん、生活用水、農業用水、工業用水、そしてダム、水力発電にと。川が無かったら・・・。と考えるといかに川の恵みを受けているかがよくわかる。
 川だって穏やかな顔をして流れているだけではない。このことを実感したのは、防災訓練で水害のビデオを見たときだった。一九五六年に須坂市の仁礼で起こった「五六災害」のものだ。木々がなぎ倒され、家の中に泥が流れ込み、大きな岩がごろごろと流れる様子を見ていたら恐怖と共に水の力の大きさを感じた。その時の川はまさに、顔を真っ赤にしてカンカンに怒っているようだった。水害はとても恐ろしいし、大きな被害を及ぼす。しかしこんな一面もあるからこそ、自然と言えるのではないだろうか。台所用洗剤の泡が浮いていたり、それにとどまらず油が水面を覆っていたり、これでは川や生き物が悲鳴をあげている。そしていつかも人間も悲鳴をあげることになってしまうだろう。だから今、私たちにはやるべき事がある。川に笑ってもらうのだ。そうなったときには生き物も帰ってきて生き生きと暮らし始めるだろう。これが川を守ることにつながり、今までお世話になった川への恩返しであり、「これからもよろしく。」という挨拶になると思う。十年後、二十年後、この先もずっと共に生きていく川や生き物について知ることが大切だ。人はあまりにも無関心で自分本位になっていたのだ。川について知ることが解決の第一歩だろう。川と引くと辞書には、「地表に集まった水が傾斜した陸地のくぼんだ所を流れるもの」とか書かれていた。もちろん川は水が流れる所だ。でも私はそれだけではないと思う。目に見えないような小さな小さな微生物がいて川の水をきれいにしてくれる。微生物を食べる小さな魚がいて、その魚を食べる大きな魚や鳥がいる。川底では魚のえさとなる藻が石に付着し、卵を産み付ける水草が生えている。こんな生態系がある川を本当に川と言えるのではないか、と私は思う。魚も鳥も貝も微生物も植物も、水までが笑っている、これが理想の川の姿。この理想の姿に近づくために、私たちにできることはたくさんある。「できることから始めよう。」こんな言葉がある。どんなに小さなことでも川に対する思いやりを持つだけで変わってくるだろう。今は無表情な顔をした川もいつか笑ってくれるように。そして、今も笑っている川はいつもでも笑い続けてくれるように、今日から少しずつ始めてみようと思う。
 やっぱり私は笑っている川が好きだ。

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