中学生の部 銅賞作品「川遊びで感じた事」丸山 俊樹 長野市立更北中学校
 ぼくは毎年お盆には祖母の住む木曽を訪ねる。
 そこは、まわりを山に囲まれ2・3分歩くと木曽川の支流に出る風光明びな場所だ。
 空は青く高く、カンカン照りでもうだるような暑さはない。地面が暑さを吸いこみ、川からは冷たい風がスーッと吹いてくるからだ。
 川を少し上がっていった所に「巴淵」と言う少々深くて流れのゆるい川遊びには格好の場所がある。

夏、祖母の家に行く楽しみの一つは、その巴淵で泳いだりもぐったりする事だ。中学生にもなった今年も、中三の姉と一緒に無邪気に遊んだ。
 川は少々冷たいが、自然の飛びこみ岩や流水プールがある。中をのぞくと、小さな魚や、イワナやヤマメかと思う魚に出会う時もある。流れに合わせて泳ぐと上手くなったような気分にもなる。海と違って目が痛くなることも無い。
 岸では大人たちがビールを飲みながら読書したり、昼寝をしたりしている。また、水辺では小さな子どもたちが親と一緒に水遊びをしている。
 夜になると蛍もちらほらまってくる。
 このゆったりとした時間の中にいると、いつも急がしく生活している事なんて忘れられそうだ。
 しかしこんな体験をする事が出来るのも川がきれいであればこそだ。
 僕の家の近くにもさい川という川がある。しかし、そこでは木曽のような遊びはできない。学校でも禁じられているだろうし、河原は空缶やビニールのごみなどがごろごろしていてとてもそんな気分にはなれないからだ。

僕たちにとって川は飲み水や魚などの食糧を得る生活には欠かせない存在だ。さらに山から流れでた川はその地域一帯をうるおし、田畑に栄養を与え、最後は海にも養分を流しているのだという。

人間が川から得ているものはとても大きいんだなと思う。
 それなのに人口の多い町中の川は心無い人たちで汚されていく。家で処分できない粗大ごみをこっそり河原へ運んでいく人もいる。家庭や工場から出る排水も最後は川へ流れていく。

日本は川が多くて飲み水にも困らないが、世界では、水は買うものと思っている国もある。ちなみに社会の資料を見ると、一日に使う水の量が、ケニアではわずか5リットル、日本では339リットル、アメリカでは何と1000リットルと大きな差があった。

僕たちは川にもっと関心を持ち大事にしていかなくてはいけないと思う。最近は環境に対する、みんなの意識が高くなってきている。一人一人が気をつければ、世の中は良い方向に進んでいくのではないだろうか。
 川底まですけそうな木曽川が、いつまでもきれいな川であるように、そしてさい川もきれいになるように願っている。

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