中学生の部 金賞作品「じいちゃんと犀川」小林 優香 長野市立犀陵中学校
犀川は、私の通う犀陵中と最も関係の深い川だ。校歌・生徒会歌・応援歌。犀陵中の歌には、どの歌も必ず「犀川」がでてくる。
 私のじいちゃんは犀川の近くに住んでいる。じいちゃんは釣りが好きで、よく犀川で釣りをする。じいちゃんは釣った魚は逃がしてやるから、魚たちはきっとうれしいと思う。小さいころは、どうして釣った魚を逃がしてしまうのか不思議でならなかった。でも今は私もなんだかうれしい。

じいちゃんは川に行くと、動くのがはやい。ごつごつした石の上をサンダルでぴょんぴょん飛び跳ねてわたっていく。私にはとてもまねできない。ゆっくりわたっても、石がごつごつしているから、川に落っこちそうになる。
 私は川が好きだ。見ているとおちつくし、川に足を入れると冷たくて気持ちがいい。でも最近、川にゴミを捨てたり、釣り糸を川原にちらかしたままにする人が増えたような気がする。ゴミを川に捨てたら、川の魚たちがかわいそうだ。水がよごれて死んでしまうかもしれない。釣り糸をちらかしたままにしておいたら、川原に飛んできた鳥たちが、その釣り糸に羽や足をひっかけて、けがをしてしまうかもしれない。このままだと、川の生き物が減ってしまう。私は「もっと川の自然を大切にしなければ。」と思うようになった。

私が小さいとき、よくじいちゃんと川へ行った。川に足を入れたり、きれいな石を拾ったりして遊んだ。そのとき、じいちゃんが川原にちらかった釣り糸を拾っていたのを覚えている。私が、
「どうして拾うの?」
と聞いたら、じいちゃんは、
「じいちゃんが釣りをするときに使うんだ。」
とにやっと笑って答えてくれた。私は、そのときは本当にじいちゃんが釣りでその釣り糸を使うんだと思っていた。でも最近になってから、あれは釣りをするためにじいちゃんが自分のために拾ったのではなくて、川に飛んできた鳥たちがその釣り糸でけがをしないように拾い集めていたのではないかと思うようになった。本当にそうなのかはわからないけど、私はきっとそうだと思う。

じいちゃんと一緒に、川のゴミ拾いをしたこともある。あき缶やペットボトルがたくさんあった。私より、じいちゃんの方が何個も多くゴミを拾った。
 じいちゃんは川が好きだから、川に飛んでくる鳥たちの気持ちや、川で泳いでいる魚の気持ちがよくわかるのだろう。そして何より、その命の大切さも人一倍強く感じとっているのだと思う。きっと、私なんかよりじいちゃんの方がずっと川が好きだ。
 じいちゃんが釣りから帰ってくると、じいちゃんの手はいつも魚の生臭いにおいがする。小さいときはそのにおいがいやだったけど、今はいやじゃない。じいちゃんのにおいだ。じいちゃんは川みたいだ。川に飛んでくる鳥や川で泳いでいる魚の命を守っている川―。

犀陵中の歌をうたっていて、犀川がでてくると、なんとなくじいちゃんを思いだす。じいちゃんは今も釣りが好きで、よく犀川に行く。つった魚はやっぱり逃がしてやる。それは、魚たちのためでもあるし、じいちゃんのためでもある。きっとじいちゃんは、川がなくなってしまうのがいやなのだろう。そして、川の生き物に会えなくなってしまうのがいやなのだろう。そんなの、私だっていやだ。だから、もっと川の自然を大切にして私もじいちゃんみたいに川を守っていきたい。そして、犀川がいつまでも生き物がすめるように美しいままで、ずっとあの場所にあったらいいな、と思う。

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