水害の歴史

 信濃川は、越後平野に恵みをもたらすと共に、氾濫を繰り返し、そこに住む人々を苦しめてきました。明治以降でも、明治29年の「横田切れ」と呼ばれる大洪水、大正6年の「曽川切れ」を始めとして多くの氾濫被害を起こしています。近年でも、昭和57年洪水では信濃川の水が堤防よりあふれる寸前まで至っています。

主要な洪水

洪水名
原因
被害状況
明治29年7月
横田切れ
 

西蒲原一帯18,000ha浸水
死傷者75万人、家屋流失25,000戸

大正6年10月
曽川切れ
台風 亀田郷一帯が泥の海
被災者50,000人、家屋浸水期間50余日
大正15年7月 集中豪雨

死者1人、負傷者27人、床上浸水250戸、床下浸水120戸
出水後5日間交通が断絶

昭和27年7月 梅雨前線

浸水家屋1,676戸、田畑流出280ha、冠水水田19,000ha
道路決壊28ヶ所、鉄道不通5ヶ所、堤防決壊57ヶ所

昭和56年8月 台風15号

六日町・堀之内・小千谷において観測史上最高水位を記録
 小出地区において魚野川が越水
 被害面積187.7ha、被害戸数576戸、被害人口2,056人

昭和57年9月 台風18号

大河津において観測史上最高水位を記録
 大河津分水路右岸の夕暮れの岡では、堤防より洪水があふ
 れる寸前まで至った。