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阿賀野川のむかし話

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御前ケ渕(ごぜんがふち) 旧東蒲原郡三川村(現阿賀町)
酒呑み地蔵 (旧中蒲原郡横越町)
おさん狐 (旧北蒲原郡京ヶ瀬村)
鐘の道 (旧北蒲原郡京ヶ瀬村)
恩を返したお地蔵様 (旧新津市)
弥彦明神の投げ石 (旧新津市)
四つ橋長者 (旧北蒲原郡水原町)
六野瀬部落 (旧北蒲原郡安田町)
従位の宮(旧中蒲原郡村松町)
御前ケ渕(旧東蒲原郡三川村)
お鶴ケ沼(旧東蒲原郡津川町)
おさん狐 むかし、源平合戦(げんぺいがっせっん)も終わりにちかいころのお話です。
 源氏とたたかってほろぼされた平家の人たちは、のがれのがれて、遠く越後(えちご)(新潟県)の白崎(しろさき)までやってきました。長いみちのりを歩いてきたのですが、ここで平家の人たちはみんな源氏のさむらいにつかまってしまいました。
 平家の身分の高い人たちのあとから、その奥方(おくがた)たちの一行がおくれてやってきました。足がよわいので、おくれてしまったのです。そして、夫や子どもたちが、源氏につかまってしまい、あすの朝、にわとりが鳴くのをあいずに、首を切られてしまうということを聞きました。
 奥方たちは、夫や子どもがころされると聞いて、おどろきかなしみました。そして夫や子どもが死ぬ前に、せめてひと目だけでも会いたいものだと、一生けんめい歩きつづけました。
 ところが、阿賀野川まできたときに夜があけてしまい、にわとりが鳴きはじめました。
 奥方たちは、
 「ああ、こんなに一生けんめい歩いてきたのに、もう夜があけてしまった。夫や子どもに会うことができないとは・・・。」となげき悲しみ、生きるのぞみもなくなってしましました。
 そして奥方たちは、
 「わたしたちも、おともさせていただきます。」
といいながら、ねんぶつをとなえて、阿賀野川にとびこんでしまいました。
 身分のある人の奥方を、このころは「なになにごぜん」といっていましたが、近くの村の人たちは、このことをたいへんかわいそうに思い、川にとびこんだあたりを「御前ヶ渕(ごぜんがふち)」というようになったそうです。

 

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