湯の沢
 南北朝(なんぼくちょう)時代、要害山(ようがいさん)のふもとに1人の猟師(りょうし)が住んでいました。

 ある日、狩りに出た猟師は、舟玉(ふなだま)神社の近くで大きな鷹(たか)が木に羽を休めているのを見つけました。猟師は弓に矢をつがえて鷹をねらいましたが、どうしたのか、矢は弦(つる)をはなれようとしません。しかたがないので猟師はそのまま帰りました。そして翌日ふたたび来てみたところ、鷹は同じ姿(すがた)で止まっていました。

 やがて数日がすぎ、鷹は元気に大空へ飛び立っていきました。ふしぎに思った猟師が鷹のとまっていた木の下へ行ってみると、熱い湯がこんこんとわきでてています。
 けがをした鷹がここへ湯治(とうじ)に来ていたというわけです。
 それからこの湯は「湯の沢」と呼ばれ、近くに住む人びとでにぎわうようになりました。
 それから100年以上がたった戦国(せんごく)時代のこと。要害山の城主(じょうしゅ)色部昌長(いろべまさなが)が、越後守護代(えちごしゅごだい)長尾為景(ながおためかげ)にそむいたため、長尾の家来(けらい)に攻撃(こうげき)されるようになりました。

 湯の沢にも長尾の家来たちが湯治客に化けて潜入(せんにゅう)し、色部の様子をさぐるようになっていたのです。
 そのため昌長はある日、愛馬(あいば)にのって湯の沢を訪れ、

「この湯が心配事の原因だ」

とさけんで馬の首を切りおとし、こんこんとわきでるお湯の中へ投げこみました。
 すると、あれほどたくさんあふれていた熱いお湯がぴたりと止まってしまいました。

 湯の沢の止まったのとちょうど同じ時に、荒川の上流で突然熱いお湯がわきでて来ました。
 これが今の「湯沢温泉」だといいます。

 お湯の神様が昌長の乱暴な行ないに怒り、湯の沢から湯沢へお湯をうつしてしまったのです。

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