ここが自慢・・・福岡町へ私の一言
私の生まれた大野部落(小矢部川上岸の中間の細長い所)で夏の夜、水の流れのせせらぎを聞きスヤスヤと眠る。子守唄を聴いている様である。孫の為にもよろこんでいます。
福岡町は川の多い町、山の多い町。
大小たくさんの川と緑がキレイ。特に岸渡川の桜は最高!是非、桜の季節にきてネ。
私は18歳から富山を離れて40数年間愛知、岐阜、長野、静岡、三重にいました。最近富山に帰って来ました。(帰って来てから4年になります。)一番思い出となるのは立山連峰と小矢部川の流れです。
地下水が豊富で大変おいしい。一度飲んだら水道水は飲めない。
自然 −テラスに立てば、西山(能登半島に続く)の四季の移ろいを楽しみ、遠く、東方に立山連峰が連なる。足元に小矢部川の流れが石動〜伏木と見渡せる。そして、岸渡川が年中、澄んだせせらぎを見せる。
イベント −山(家族旅行村)の冬のふれあい市、川、土屋親水公園で夏のフェスティバル
−水(川東、右岸側)米(川西、左岸側)
川とのかかわり −生まれながら、川に育てられた。父も兄(長兄)も川の漁と砂利採集をしました。昔は護岸工事やイカダ流し、川舟で来て伏木へ運んで収入を得ていた。
現在は川の両岸堤防、向田橋、土屋橋、三日市橋を毎朝のジョギングコースにしております。
ぜひ、一泊して早朝の小矢部川のほとりを歩いてみてください。野鳥等の鳴き声がきこえ、すがすがしい空気を胸いっぱいすいこんで!周囲には緑がいっぱい。川のせせらぎも耳に心地よく聴こえてきます。毎日の多忙な身体と心を休めてください。ホッ!と心が昔にトラベルできるときが持てますよ。
川は今、私たちとどのように関わっていますか。最も関わりが深いことを挙げてください。
福岡町観光協会、商工会主催の行事が沢山ある。
春− 岸渡川 桜まつり
夏− 小矢部川 リバーサイドフェスタ(鯉のつかみどり、花火)
町内の花見(西町)
4月10日頃、岸渡川を遊覧船が桜の花見で出る。岸渡川は町の中を渡っているからいろいろ残っている。
10年ぐらい前、観光協会において事前申し込みで9月23日のお彼岸に灯篭流しをしていた。(つくりもんまつりで復活)
8月13日に毎年お招来(しょうらい)を子供達がする。たいまつをまわして霊をまねく。(三日市橋 上手の土手で)−母クラブ
野鳥の楽園
黒鯉が多い。
鯉が集まる。
夏、川の土手に菅(すげ)を干す(土用干し)
岸渡川堤防の草刈り(年に1回6月頃、西町において)川に近い町内はみな草刈りをする。
小矢部川の水質調査
今年で11年目です。7/28(日)にします。ファミリ−参加が増えて来ました。親も参加することで、この日だけは大人公認の水遊びをします。(中には服のまま泳ぐ子もいます。)
岸渡川をはじめとして、ジョギングや犬の散歩をする人が多い。
散歩 ジョギングコースは三日市−向田橋が整備されている。
川はちょっと前に比べて暮らしの中での関わり方が、どのように変化しましたか。
川に飛び込んで遊んだが今はやっていない。
今の子供は川で遊ばない。
七夕流しをやっていたが現在はやっていない。
ほとんど今の子供は川に近づいていない。水、川の恐ろしさも楽しさも知らない。
川との関わりが薄れているとしたらその原因はなんでしょうか。
川で遊ぶなんてとんでもない!→大人の言葉
今の子供は川の恐ろしさも楽しさも知らない!
川にあまり近づかないようだ。(親が危険だと近づけさせない。)
今の子供の現状(川との関わり)
学校の授業の中で生活科として観察しているかもしれませんが、家に帰って川に親しむことはないと同じ。
“川は危険だ”ということで近づかない。遊ぶことはとんでもないと考えている。
生活・文化と川が関わっていたが、今は関わりが薄れてきた。
私の子供の頃は、川の水は生活水であったが、今の子供には大人達が川に手を入れるな、川のそばに行くなと言っている。
若いお父さんやお母さんと川との関わりが少なくなった。
川との関わりを深めていくために「こんなことをしたいというアイディア」を挙げてください。
自然保護しながら野鳥の楽園をこのまま保存してほしい。
長良川のように小矢部川の流れに舟を流す観光をしたらどうだろう。
観光として桜通りを活用すべき。
5月の連休から8月末にかけて三日市橋上流の水位が上がる。(五位庄用水のえん堤が上がるため)ボートを浮かべ、マリンスポーツができるようにしたい。
えん提が出来ると水位が上がる。
親水公園とその周辺でバーベキュ−やキャンプが出来れば・・・。
河川敷き内を運動公園にしたほうが良い。
歴史的に思い出すため小矢部川に“佐々成正”が通った歴史館を作ったらどうだろう。