( 1 ) |
「川向う」という言葉がある(川には市町村・集落の区切りなどがあると思う)が、川の対岸を見る場合と自分の側を見る場合とでは意識が違うのであれば、例えば放水路により区切られてしまうと、環境的に大きな隔たりを生んでしまうと思う。 |
( 2 ) |
川というのは一定流量で一定の流速で流れるというのは大体本来間違いで、ちょっとした出水によるフラッシュ(出水による河床の洗い流し)などがあってしかるべきで、それでなければ川としての機能は果たしていないと思う。 |
( 3 ) |
川岸の植生として、選択するよりは、とりあえず外国の木が生えても構わないのではないかと思っている。(基本的に長生きせず、更新していくため。) |
( 4 ) |
河畔に植物がない場所が決壊し、耕作したり河畔林が生えているところはずっと助かっている事例がある。(町ぐるみで河畔林を保全している事例がある。) |
( 5 ) |
左岸と右岸で意見が違うということはあまり聞いていないが、上・下流で意見が違う事例はある。ある河岸の木について、水の流れが悪くなるから切るべきだと言う人がいる一方、木の根で護岸を押さえているのだから切るべきではないと言う人がいて、討論に時間がかかった事例がある。 |
( 6 ) |
防災と環境の関連について検討する必要はないか。 |
( 7 ) |
個別の具体的な事項については利害関係があってなかなか合意できないが、できるだけ一般的・根元的なところでまず合意し、それから具体的な事項に踏み込んでいけば、そう悲観する必要はないのではないか。 |
( 8 ) |
以前、子供達が水遊びできる一角を造る計画が浮上したことがあったが、賛成意見がある一方、子供達が危険ではないかとの反対意見があり、結論が出なかったことがある。(その後当該施設は造成されなかった。) |
( 9 ) |
比較的河川に関心があるのは下流の方の人たちで、どちらかというと関川では右岸側の人がより関心が強いように思う。なお、災害は左岸の方が住宅が多いことなどから多いが、面積的には右岸の方が多かった。また、歴史的に見た場合、特に保倉川については改修により蛇行の傾向が変わってしまったため、戦後生まれの人たちは以前のことは全然分からない。 |
(10) |
以前、水害経験者と水害を知らない若い人の座談会の発言を取りまとめたことがあるが、非常に苦労した。。 |
(11) |
昭和39、40年頃の水害時には、城北中学校周辺は海のような状況であった。 |
(12) |
排水がうまくいかないのは、実際に流れる方向とは違う方向に川、排水溝が計画されて造られているからであろう。 |