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洪水との戦い(信濃川の歴史)

越後平野は、信濃川の豊かな流れによりたくさんの恵みを受けています。
しかしその一方で、かつては3~4年に一度の割合で洪水が起き、人々を苦しめました。信濃川の歴史は、洪水の歴史であるとも言えます。
度重なる洪水から生活を守るために行われた治水事業を紹介します。

年代 工事名 内容
天正10年
(1582年)
直江工事 当時の燕島を守る為に、直江山城守兼続が行いました。
万治
(1660年)
万治工事 道金付近で信濃川の流れる方向を変えました。
寛延元年
(1748年)
左近堤 長岡の城下町を守るために作られました。
万延元年
(1860年)
天野付近の
瀬替え工事
度重なる洪水に悩まされ、天野付近の川筋を変える工事を行いました。
大正11年
(1922年)
大河津分水路 越後平野を洪水から守るために行われた大工事。
着工のために田沢与一郎と息子の実入が力を尽くし、工事のために大竹貫一は自らの資産を投じました。
構想から完成までに200年の月日がかかりました。
昭和6年
(1931年)
大河津分水路
補修工事
昭和2年に壊れた自在堰の補修工事。
当時の新潟土木出張所所長は青山士、現場責任者は宮本武之輔
昭和23年
(1948年)
中山堤防 十日町の十日町橋周辺で行われた築堤。
当時十日町町長を務めていた中山龍次によって提案、築堤された。
平成2年
(1990年)
妙見堰 水流が蛇行しているため、河床を安定させる為に作られました。
その他にも、水力発電による流水量の調整や、妙見堰の堰柱を利用したバイパス橋などに役立っています。


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